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第5話

 凌太郎は仕事のため家を空けることとなり、屋敷には基本的に薫と清二郎で過ごすこととなった。最初の朝、部屋から顔を出した薫は芸者姿ではなく、質素な着物姿であった。化粧も昨日のような白塗りではなく、肌つやを整える程度の控え目なものである。艶やかさはないが、本来の美貌をより感じられるようで、清二郎は直視できなかった。そして昨日と同じように好ましい香りがふんわりと漂っている。    凌太郎は仕事が立て込むと、この私邸には顔を出さなくなる。薫が来てからというものの、顔を出すのは、薫が周期を迎える期間だけであった。その間、清二郎と薫は一つ屋根の下生活していた。互いの出自、好物、色々なことを話した。聞き上手な薫の前では、清二郎は何でも話していた。ただ、凌太郎がこれまでオメガにしてきた仕打ちだけは、何とかごまかしてきていた。 「薫さんはどうして兄の誘いを受けたんですか。一番人気だったとお聞きしているので、引く手あまただったのではないですか」 「いいえ。わたくしも見世ではとうが立っておりましたので、身請けの話は以前程来ていなかったのですよ。だから、この辺りがそろそろ潮時なのかと感じまして」 「そうだったんですね」 「清二郎様はお仕事でも、凌太郎様をお支えしていらっしゃるのですね」 「私は凡庸な人間ですから、大したことはできませんよ」    幼少期からそうだった。突出した才はなかった。だからせめて、自分が立ち回れば、周りが最善の結果を出すことができるのか考えて行動するようにしていた。 「そんなことはありませんよ。支えてくれる相手がいるというのは良いものです。わたくしも、働いていた見世で一番人気を務めておりましたが、見世で身の回りの世話をしてくれた者や、二番手の芸者には感謝してもしきれません。本当は悔しかったでしょう。自分の感情を制して、引き立て役に接する……わたくしは、そういった人を愛おしく思います。清二郎様も、これまでいろいろとお辛いことがあったのでしょうね」    愛おしい。    その言葉に、清二郎は歓喜した。これまで臓腑に蓄積した辛酸が、浄化されるようだった。決して自分に対して言ったわけではないということは分かっているのだが、薫の唇からその言葉を聞けただけで満足だった。  そんなことが何度も続き、清二郎は薫のことを愛するようになっていった。兄の情人を、しかもいずれは廃人となる人にこんな感情を向けても意味はない。そう頭で思っていても、恋慕が消え失せることはなかった。    薫の項がまだ、踏み荒らされていない新雪のように清い様を見ては、安堵した。周期の度に兄は屋敷を訪れる。兄は薫にはこれまでの獣じみた対応はとらず、あくまで紳士的に愛でていた。薫の艶やかな声と、しなやかにしなる背中を障子越しに見るのが、辛かった。項を噛まれてしまうのではないかとひやひやした。  子が出来れば、兄も変わるのだろうかと思ったが、オメガにも個体差があるのか、薫が来てから何度か周期を迎えたが、身籠る兆候はなかった。 今回も薫は周期を終え、凌太郎は私邸を離れることとなった。薫は、凌太郎の姿が見えなくなるまで、見送っていた。そして、ぽつりと呟いた。 「わたくしも、いつか項を噛んでいただけるのでしょうか」 「それは駄目だ!」  清二郎は思わず叫んでいた。取り繕うとしても、時すでに遅し。薫はキョトンと不思議そうな顔をしている。

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