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第8話
「清二郎様、どうぞお入りください」
突然の声かけに、清二郎は心の臓をつかまれた思いだった。薫の声である。閨で他の男の名を呼ぶなど一体どういうつもりなのか。早鐘のように打つ胸を沈め、障子越しに薫へと問いかけた。
「薫様、どうなさったのですか。兄上はもう眠ってしまわれたのですか」
「ええ、お休みいただきました。どうぞお入りください」
「いいえ、そうは言いましても……。私が入った後で、兄上が目を覚ましてしまいますと、薫様にあらぬ疑いがかけられてしまいます」
「大事ありません。どうぞお入りください」
このままでは押し問答である。清二郎は観念した。もし兄が目を覚ましたら、薫が水を欲しがったとでも言えば、怪しまれることはないだろう。
細心の注意を払い、障子を開ける際も、音が立たないようにしてから中に入った。
そこには、今度こそ心臓が飛び出るかと思われる衝撃的な光景が広がっていた。
薫は生まれた姿のまま、障子の前に立っていた。白い肌が蝋燭の明かりに照らされ、すべてが清二郎の目に飛び込んできた。
思わず思考停止に陥ったが、その右手を見て、視線はくぎ付けになった。薫の右手には光る物が握られていた。その先端から畳に何か滴っているようで、赤い染みができていた。左手は薄暗くて見えづらいが、何か棒状のものを持っているようだった。
「もう大丈夫です」
薫は右手に握っていたものを畳に突き立てた。そして、左手に持っていたものを清二郎に見せてきた。
大丈夫とはどういうことなのか。薫の手に握られたものがあまりにも、非現実的すぎたために、一瞬何なのかわからなかったが、すぐに思考があるものへ向かう、
まずは薫の下腹部を確認し、次に兄の方へと向かった。愉悦の表情を浮かべたまま動かない兄の下腹部は、下履きも纏わず露わになっていたが、そこにはあるはずのものが存在していなかった。
薫が握っていたものは、兄がアルファである証ともいうもの。局部であった。
持っていた明かりを兄の首筋に向けると、そこには薫の腰紐がしっかりと絡みついていた。恐る恐る兄の呼吸、脈拍を調べたが、反応は確認できなかった。
恍惚の表情が、二度と変わることはない。ああ、この人は死んでいるのだ。清二郎は初めて理解した。
「悲しいアルファの子。アルファである自分を愛し、そして憎んでいた子。わたくしが、その業から解き放って差し上げました」
清二郎は、ふと思考した。首絞めは自傷行為の代行。兄は、あの日のオメガに自分を殺してもらいたかったのかもしれない。これまでのオメガ探しも、自身を罰してくれる相手を探していたのだろうか。初めて、兄に憐憫の感情を向けることができたように思った。
「清二郎様、これでも貴方も、己を解き放つことができます。もう誰にも遠慮する必要はありません。そして、わたくしも、貴方だけをお慕いすることができます」
「いつから、こんなことを考えていたのですか」
薫の体が清二郎になだれかかり、細い指が清二郎の唇に触れる。
「野暮なことおっしゃらないで。凌太郎さまの残り香を、貴方の熱で消して下さいませ」
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