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第2話

◇◇ 落ちていく。 ゆっくりと、音も立てずに、堕ちていく。 行き先は、地獄の果てか、それとも。 どこでもいい。唯一の心残りは、あの宛名のない手紙を、来る前に捨ててきてしまったことだ。届かないと分かっていても、ポストに投函して来ればよかった。 そうすればもしかしたら、名の知らぬ優しい天使が拾って、彼の元に届けてくれたかもしれないのに。 僕は微かな後悔を払拭するように、首を横に軽く振って、唇で三日月を形作った。 笑わなければ。あの人が笑顔で自分を呼んでくれたように、僕も笑わなければ。 僕は微笑みを崩さぬまま、次々に移り変わってゆく世界に吸い込まれるように、ゆっくりと目を閉じた。 ◇◇ 気が付けば僕は、荘厳な教会の中にいて、他の列席者に混じって手を叩いていた。 辺りには華やかな音楽が流れ、一面が祝福ムードに包まれている。僕は少し戸惑ってから、思い出す。そういえば今日は、結婚式に呼ばれていたのだったか。 僕は少しの間、ぼーっとしていたのを悟られないように、周りにゆっくりと溶け込んだ。 見たところまだメインの人物は登場していないようだが、もう既に感極まって涙している者まである。 僕は空っぽな心で、ただ目の前の虚空を見つめながら拍手をしていた。 そこには何の感情さえもない。いや、浮かべてはいけないのだ。 重厚な鐘の音と共に、後方の扉が開く。 周りが立ち上がって振り向くのに倣い、僕も同じようにする。 何せ自分のも含めて誰かの結婚式など出席したことがないので、流れやマナーなど一切知らない。 せめて本でも一冊読んでくれば良かった、そんな後悔と共に、扉の向こうのシルエットに目を向ける。 高低差のある、二つのシルエット。 それらが、ゆっくりと動き出した。 白いスーツに身を包んだ新郎と、同じ色の煌びやかなドレスに身を包んだ花嫁。二人は見つめ合うと、その唇に微笑みを讃える。 新郎は花嫁の手を取ると、花びらの散ったヴァージンロードの上に一歩踏み出した。繋がった二人の影が、赤い絨毯の上に落ちる。 僕は、目線を下に落とした。 これ以上見ていたら、どす黒い感情が芽生えてしまいそうで、怖かった。 僕は終始俯き気味で、ただ壊れた人形のように、拍手を繰り返していた。 不意に、顔の横を柔らかな風が掠めた。 一青。そう、呼ばれたような気がした。 僕は抗えない引力を受けて、顔を上げる。 新郎とーー兄さんと、目が合った。 『…ねえ、兄さん。神様は、残酷だよね。僕達、兄弟じゃなかったら良かったのに』 『…そうだなあ。時々、神様なんていないんじゃないかと思うよ』 兄さんの綺麗な瞳にかかった雫が、その瞬きに合わせて零れ落ちる。 『それでも俺は、一青の兄になれて良かったと思ってる。お前にとっての兄は、世界中で俺一人しかいないからな』 どくん、と心臓が跳ねた。 兄さん、溢れそうになる言葉を、必死に留める。 伸ばしそうになる手を、必死に捕まえる。 ーー駄目よ。欲張ってはいけないわ。 乾いた鐘の音が、心を揺らす。 『…俺の心はずっと、お前の、お前だけのものだよ。きっと何が起きても、永遠に変わらない』 兄さん。 今もまだ貴方は、僕のものですよね? 花弁が散って、兄さんの背中が遠ざかっていく。 僕はその背中を見ながら、昔の懐かしい記憶を思い出していた。

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