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第6話
◇◇
「俺さ、今度結婚するんだ」
僕は兄さんから初めてその台詞を聞かされた時、さほど驚きはしなかった。
代わりに、胸にぽっかりと大きな穴が空いてしまったような喪失感を覚えた。
「相手は、優子さん?」
「…ああ」
頭の中に、花のように可愛らしい女性の姿が浮かぶ。
ちくん、と胸が痛んだ。初めて彼女を見た時と、それは同じ痛みだった。
僕は感情が滲み出ないように細心の注意を払いながら、微笑んだ。
「おめでとう、…兄さん」
兄さんは僕の言葉に、少し安心したように顔を緩めた。
「ありがとう。…って、照れくさいな、なんか」
兄さんは頭を掻きながら、不意に優しい目になって、僕を見つめた。
「だから、この関係は今日で終わり。互いの為にも」
始まりがあれば、必ず終わりがある。
それは、この関係も例外ではない。大丈夫、そう分かっている。
「…兄さん」
僕は兄さんの頰に手を伝わせ、その唇に噛み付いた。
小さくくぐもった声を上げる兄さんが愛おしくて、そのままベッドに押し倒す。
戸惑うようにこちらを見上げる兄さんと、目が合った。その瞳が、僅かに揺れる。
「最後にもう一度だけ、僕を兄さんのものにして」
「…一青」
「思い切り、激しくしてね。僕が、兄さんを忘れられるように」
ーーホシイ。
ずきん、と頭が痛んだ。
心臓が鷲掴みされているみたいに痛んで、主張を始める。
ーーニイサンガ、ホシイ。
煩い、うるさい。
聞きたくないのに、僕のもう一つの心は、駄々をこねる子供みたいに泣き喚く。
ーーボクハ、ニイサンガ、ホシイ。
闇の中から伸びてきた手が、僕の手首を掴んで、有無を言わせぬ強い力で、引き摺り込んでいく。
いけない。そう思うけれど、その力があまりに強くて逆らえない。
ーーイッセイ。
闇の中の人物が、僕の名を呼んだ。
見たくない、反射的にそう思ったけれど、意志に反して僕の身体は声の方向へと顔を向ける。
そこにいたのは、幼い頃の自分だった。
彼は無邪気な笑みを浮かべて、僕の手を引き、闇へと堕ちていくーー。
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