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第8話
◇◇
真っ白な部屋の中で、僕は目を開けた。
「…思い出したのね、全部」
側にいた女性が、母が、僕を見てそう言った。
その目には、溢れんばかりの涙が浮かんでいる。
僕は、全てを否定するように首を振った。
信じられない。いや、信じたくない。
受け入れられない。いや、受け入れたくない。
「駄目よ。貴方は、その罪を償って生きていかなきゃいけないの」
母さんの手が、僕の腕を強く掴んだ。
正面から鋭い視線で射抜かれて、否応なくあの場所へと意識が戻される。
『一青‼︎』
兄さんが僕とトラックの前に飛び出し、僕の胸板を強く押した。
零れ落ちる声に反応するように、兄さんの瞳が僕を見つめる。兄さんは音もなく、静かに、綺麗な微笑みを浮かべてーー。
甲高いトラックの悲鳴と共に、僕の身体は後方へと飛ばされ、赤い鮮血が飛び散る。
瞬きの後に視界に映った景色の中には、もう兄さんの面影はなかった。
ただの肉塊と化した人間の残骸が、夥しい量の血の中に、浮かんでいる。
「っ違う」
僕は必死に、母さんの手を振り解いた。
両手で耳を塞いで、その場に蹲る。
「忘れるってことは、一種の自己防御作用なの。でも貴方は、思い出してしまった。辛いかもしれないけれど、乗り越えなければいけないの」
「…無理だよ、出来ない…」
じわりと現実の冷たい空気が浸透していくのに合わせて、心が軋み、悲鳴を上げる。
ーー自分が、兄さんを殺した。
その事実は、受け入れるにはあまりにも残酷だった。
「…欲張ってはいけない」
母さんが、幼い頃に何度も聞かされてきたその文言を、ゆっくりとなぞるように繰り返す。
「そう、言ったわよね。どうして、…守らなかったの?」
『…駄目よ、欲張ってはいけないの』
幼い頃に母にかけられた、魔法。その効力は絶対的で、逆らうことさえ許されなかった。
けれどそれを、鬱陶しいとは思わなかった。母の呪縛の中にいれば、傷つくことはなく、苦しいと思うこともない。そこはあまりにも快適で、心地良かった。
「……どうしても、諦めきれなかったんだ」
けれど、兄さんだけはーー欲しいと思ってしまった。
保護された空間から飛び出してでも、その手を掴んで、自分の側に置いておきたいと思ってしまった。
「…兄さんが、好きだった…」
視界がぼやけて、生暖かい滴が頬を伝う。
この感情は、好きという二文字で片付けられるような単純な想いではない。
けれどその中心にあるのは、兄への直向きな愛情。
兄さんが居なくなった今も、変わらない。兄さんの心が僕のものであるように、僕の心も、未来永劫兄さんのものだ。
母が、頭上で乾いた笑いを漏らす。
「……っ馬鹿ね、本当に…」
母の目から、涙が零れ落ちる。
「清二も貴方も、バカよ…」
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