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第4話
◇◇
最悪のタイミングで帰ってきてしまった、とその光景を見て僕は思った。
兄さんに肩を抱かれていたその女性は、僕を見るなり慌てて身体を離し、気まずそうに視線を彷徨わせる。
「あー、…紹介するわ。彼女の、優子」
一応弟には紹介しておかなければいけないと思ったのか、兄さんはそう言って彼女にちらりと目をやった。
彼女もまた兄さんをちらりと見上げると、僕へと視線を移し、にこりと微笑んでみせる。
「清二君の恋人の、河井優子です。…えっと、一青君、だよね?清二君から色々と話は聞いてるよ」
「…兄さんから?」
僕が兄さんに視線を投げると、兄さんはわざとらしく視線を逸らし、隣の彼女の肩をこづいた。
どうやら、僕には言って欲しくないことだったようだ。
優子さんは茶目っ気たっぷりに舌を見せ、ごめんね、と両手を合わせた。
「…ったく、いつも余計なことばかり言うんだよな、お前」
「もー、怒らないでよ。弟想いのいいお兄ちゃんだってこと、伝えたかっただけじゃない」
優子さんは僕の方へ向き直ると、目を細めて、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。
「ごめんね、一青君。清二、少しご機嫌斜めみたいだから、今度ゆっくり話そう」
「誰のせいだと」
「ふふ。またね、一青君」
彼女はそれだけ言うと、尚も少し機嫌の悪そうな兄さんをほって、まるで春風のように去っていってしまった。
後に残された僕達は、何となく気まずい雰囲気の中、どちらからともなく顔を見合わせた。
「…あー、その。勘違いすんなよ」
「…何が?」
「だから、さっきの…お前のこと優子に話したってやつ」
「別に、…してないけど」
言いながら、僕は妙な胸の痛みを覚えた。
内から針で刺されるような、体験したことのないような、胸の奥の痛みだった。
「なら、いいけどさ」
痛みは、段々とその強さを増していった。
少し痛みを感じる程度から、遂にはナイフで抉られているような、激しい断続的な痛みへと変貌した。
耐えられなくて、思わず胸を抑えてしゃがみ込む。
僕の異変に気が付いたのだろう。兄さんが駆け寄ってきて、そっと僕の肩を抱き寄せる。
「一青、どうした?」
「兄さん…」
兄さんの顔を見た途端、痛みがぐっと強くなるのが分かった。同時に、この痛みの正体を知ってしまった。
僕は兄さんの手を解き、ふらふらと立ち上がった。
「おい、一青って」
「…大丈夫だから、ほっておいて」
「いや、大丈夫じゃねえだろ、それ」
「っ大丈夫だって!」
言ってから、やってしまったと思った。
兄さんは、僕に払われた手を見つめ、固まっている。
「ご、ごめん、兄さん…」
どうしよう。嫌われてしまっただろうか。
僕は急に感じたことのない恐怖に駆られ、恐ろしくなって兄さんに手を伸ばした。
「兄さ…」
伸ばした手は、兄の手によって絡め取られる。
そのまま乱暴に壁へ押し付けられ、驚く間も無く、薄く開いた僕の唇へ、兄のものが押し当てられた。
「んっ、にい、さ…」
キス自体が初めてだった僕は、舌を交えたその大人なキスに、たちまちに骨抜きにされてしまった。
その場に崩れ落ち、使い物にならなくなってしまった僕を、兄さんは所謂お姫様抱っこの体制で抱え上げた。
「……俺の部屋、行っていい?」
兄さんは僕を運びながら、耳元で低く囁く。
それはまるで、聞かなくても答えなんてわかっているような口ぶりだった。
兄さんの言いなりになるのは少し悔しかったけれど、僕は欲望に従って、頷いた。
ーーその日、僕は初めて実の兄と身体を重ねた。
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