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タブー (2)

異変に気付いたのは、学校から帰ってきた時だった。 家の電気がひとつもついていない。 まだ夜は始まったばかりだったけれど、日はほとんど沈んでしまい辺りはすっかり闇に包まれていた。 玄関の鍵も開いている。 泥棒とはち合わせしないかと恐る恐る扉を開けると、見慣れた二足の靴が目に入った。 父さんの大きな黒い革靴と、小さめの運動靴は世那のものだ。 つい安堵の息が漏れる。 部活で汚れた靴を脱ぎ捨て、リビングに向かった。 扉にはめ込まれた磨りガラス越しに、確かな人の気配を感じる。 「ただいま」 返事がなかった。 「父さん、世那。いるんだろ?」 手探りで壁のスイッチを探し、電気をつけた。 少しずつコントラストを取り戻していく視界の中に、小さな後ろ姿がぼんやりと浮かび上がる。 世那は、なにかを見下ろし立ち尽くしていた。 心臓がドクンと不吉な鼓動を打ち、背中を冷たい汗が伝う。 「世那……?」 ビクンと跳ねた身体が、ゆっくりとこちらを振り返った。 「あ……おかえり、和誠(かずなり)」 息を呑んだ。 世那は、全身を真っ赤に染めていた。 喉がカラカラに乾き、ヒュッと雑な音を立てる。 ふいに遠ざかりかけた意識をなんとか繋ぎ止め、握りしめていた鞄を床に投げ捨てた。 「どうしたんだ、いったい!なにがあった!?」 細い両肩を掴んだ手が、ぬるりと滑った。 血だ。 世那は、全身に夥しい量の血液を浴びていた。 揺れた視界の端に、ふと大きな塊が映る。 誰かがうつ伏せに倒れていた。 「父さん……?」 その影は、這いつくばったままピクリとも動かない。 「世那、母さんを呼べ!」 「いないよ。今夜は高校の同窓会で遅くなるんだってさ」 いつもと変わらないおっとりとした口調で世那が言う。 俺は、瞬きができなくなった。 頭の中で、なにかが音を立てて崩れていく。 世那の手の中にあるものはなんだ――? 母さんがいつも料理に使っている包丁が、紅に染まっていた。 呼吸が苦しくなった。 視界が白く霞んだ。 まさか、そんな。 竦み上がる足を叱咤し、父さんらしき存在に近づいていく。 倒れ伏した重い身体を裏返し、でも声が出なかった。 父さんの逞しい胸板が、一面どす黒い色に塗れていた。 全身の筋肉が痙攣した。 吐き気がした。 咄嗟に口元を覆った俺の上に、場違いな甘い声が降り注ぐ。 「なに慌ててるの?へーんな和誠」 床が擦れる音がして、世那の気配が背後に近づいた。 無邪気な瞳が、俺の肩越しに肉の塊となった父さんを覗き込む。 「これは血じゃないよ、ペンキなんだ」 「え……?」 「試しにちょっと刺してみたら、真っ赤なペンキがいーっぱい溢れてきたんだ。どうしてかなあ?」 なんだ。 いったいなにを言っているんだ……? 意味がわからない。 「床が汚れちゃったね。和誠、怒ってる?」 「世那?おまえ……」 「怒らないで。あとでちゃんと僕が片付けるから」 悪戯を叱られた子供のように、世那が声を震わせる。 俺を見上げるふたつの瞳は空っぽだった。 残されていたのは、 狂気。 「お願い、兄ちゃん。怒らないで……?」 嗚呼。 これは、 デジャヴだ。 ――和誠。 思い出せ。 ――兄ちゃん! 思い出せ。 ――兄ちゃん、今日は……。 世那は、なんて言っていた?

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