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第33話

 三枝は独り暮らしの部屋で、通勤バスの車内で、つらつらと考えた。決断したのは間違いではなかった、恋人ができると生活に張りが出る。  雨がしとしと降りつづき、学校全体が灰色にくすんでいるような毎日でも、冒険に出かけるように気分が浮き立つのだから。  ファミレスで武内と夕食を共にしたさい、注文を取りにきたのは、矢木とつるんでいるところをしばしば見かける男子生徒だった。彼は端末を片手に注文の品を復唱し終えると、がっくりと肩を落としてみせた。 「残念。三枝っちか武内センセが、小林先生とか中西先生とかと一緒だったら……」  小林も中西も二十代で独身の女性教師だ。 「ひな高に新カップル誕生、デートの現場目撃なう、ってLINEで招集かけたのに」 「口止め料にと、たかられる羽目にならなくてよかった。教師はわりと安月給なんだよ?」  三枝は大げさに胸を撫で下ろしてみせた。  武内は生徒が立ち去ると、真面目くさった顔つきで囁きかけてきた。 「ファミレスじゃショボいが、一応デートなんだがな」  ちょうどグラスを傾けたところで、三枝はお冷にむせた。 「暑いのか、顔が真っ赤だぞ」  わざと際どい科白を口にしておいて、ウチワ代わりのメニューで顔を扇いでくれるのは、あざとい。三枝はメニューをひったくると所定のスタンドに戻した。  すると靴を脱ぎ捨てた爪先が、テーブルの下でむこうずねにあてがわれた。悪戯な爪先は、スラックスの折り目に沿って上下する。  くすぐったさの底にひそむ別の感覚を呼び覚ます、という目的を持っているかのように蠢く、それ。うなじの産毛がざあっと逆立ち、三枝はあわててソファを横にずれた。  TPOをわきまえてほしい。そうと匂わすように澄まし顔を睨む。  ところが、どこ吹く風だ。武内は、足を組み替えるふうを装って今度は膝頭をつついてくる。 「貧乏ゆすりは、みっともないですよ」    遠回しに(いさ)めたが、やめるどころか悪びれた色もない。微妙な振動を加えながら、爪先が膝小僧を中心に円を描く。

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