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第48話
さっと三枝に駆け寄り、資料を何冊か持ってあげればすむことだ。なのに唇がやけに乾くあたり、なぜかスタートラインについたときより緊張している。
と、三枝が廊下の突き当りで右へ曲がった。その先にあるものは階段で、縦方向に距離が開いたら、いよいよ声をかけそびれてしまう。
ヨーイドン、と唱えた。〝廊下を走るな〟という文字が躍るポスターを尻目に駆け通し、階段の最下段に達する。
そして踏み段に足をかけるのももどかしく、呼びかけた。
「インハイの予選を兼ねた県大 、今度の日曜に俺が出場するやつ。ラストランかもなんで、観にこなきゃ損っす!」
三枝は踊り場を折れるところだった。頭を振り向けた拍子にトランプの家が崩れるかのごとく、どさどさと資料が落下した。
矢木は階段をのぼりながら資料を拾い集め、三枝は下りながらそうする。
歩行者同士が街角ですれ違うさい、相手をよけるつもりが同じ側へと動いて、通せんぼし合う形になることがある。それと、そっくりな現象が起きた。
最後の一冊へ同時に手を伸ばし、互いに譲り合ったのちに再び同じタイミングで動いた結果、指と指がぶつかった。
「さーせん!」
矢木は熱湯がかかったように、パッと手を引っ込めた。男友だちがアイドルの握手会に行った翌日、
「〇〇ちゃんがぎゅうってしてくれた。一生、この手を洗わない」
手袋をはめたうえからうっとりと頬ずりするのに、
「ひとりエッチのあとも自然乾燥かよ、エンガチョ」
仲間内の慣例に従って、こてこてのツッコミを入れてきた。だが今は、憧れの人に触れた一刹那のときめきを宝物扱いする気持ちに共感を覚えて〝洗わない〟へと一票を投じる。
現代文の授業中、要点をきれいな字で板書する指は、陶器のようにひんやりとして、抜群のさわり心地だった──。
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