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第60話
「ごめん、人身事故があった関係で電車のダイヤが乱れて、スタートぎりぎりに競技場についたんだ」
心臓が跳ねた。心がすさんでいるときでも耳に快い、この声の主は三枝……。
「スタンドに駆け込んだとたん、きみは彗星みたいに勢いよく走りだして……くそっ、見とれて動画を撮りそこねた」
それを聞いて、タオルに嚙みついた。炎天下、約束を守って応援にきてくれた三枝の前で無様な姿をさらした自分が不甲斐ない。
それにしても「くそ」? らしくない、と思うと口許がわずかにゆるむ。
深呼吸をひとつしてから、こころもちタオルをずらす。
はぁはぁと息を切らしているあたり、三枝は、俺の居所を探り当てるために走り回ったのか。教え子が落ち込んでいるに違いない、様子を見にいかなければ、と使命感に燃えて?
じんとくる反面、腹の底でどす黒いものが蠢く。
天邪鬼 なかまってちゃんっぽく、今日で着納めのユニフォーム姿でうずくまっているさまは、みじめったらしいだろう。
おおかた物乞いに小銭を恵んでやる感覚で憐れみをかけるのだろう。
タオルをかぶりなおして、そっぽを向く。すると慈しみに満ちた口調で語りかけられた。
「挫折感を味わった経験がある人ほど逆境に強くなる。もちろん、きみを含めてね」
──綺麗事をほざくな。
ひがみ根性丸出しでわめき散らす寸前、からくも唇をつねった。三枝に八つ当たりした瞬間、俺は、俺に愛想を尽かす。
確かに出典は道徳の教科書のような紋切り型の科白だ。それでも優しさが伝わってきて、じんわりと心に沁みた。
つと、こぼれた涙を汗だとごまかせる季節でラッキーだ。矢木はタオルを払いのけると、そのタオルで乱暴に顔をぬぐった。
背中を弓なりに反らして後ろ手をつき、足を八の字に投げ出した。
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