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第7章 神無月
第7章 神無月
三枝は時折、悪夢にうなされて飛び起きる。教育実習の初日に教職課程で学んだことをすべて忘れたうえに、授業をボイコットされる、という内容の夢だ。
ゆうべ寝しなに読んだミステリ小説の中で、禁断の恋が犯行に大きく関わっていたことが影響したのかもしれない。例の夢を見たおかげで寝不足だ。
三年二組の生徒は全員、一心不乱に解答欄を埋めている最中なのに、監督のおれが欠伸を嚙み殺すザマでは申し訳ない。
三枝は眠気覚ましとカンニングの防止を兼ねて、教室内をひと回りした。その間も、ともすると物思いに耽りがちになる。
面食らったとはいえ、どうして爆弾発言があった時点で即答を避けたのだろう。
恋人がいるから気持ちに応えられない──と。
それ以前に、年相応の相手を選びなさい、と年長者の威厳をもって矢木をたしなめるべきだった。
だいたい、よりによってトイレで告白するなんて情緒の欠けらもない。だから、からかわれただけのようにも思える。
だが矢木は、悪質な嫌がらせをするタイプではない。
受験生にショックを与えるのは禁物だ。咄嗟の判断で、引導を渡すのをためらったのだろうか。
違う、それはおためごかしだ。燃え盛る炎のような、ひたむきな眼差しに胸を打たれて言葉を失った。
かねてから矢木のことを憎からず思っていたのは確かだ。ただし他の生徒と比較して、という域に留まっている……はずだ。
返す返すも、返事を保留する形になったのはマズかった。偽物の希望を植えつけるのは、ぴしゃりと拒絶するより残酷だ。
黒板にもたれかかった。矢木は、おそらく恋慕と敬慕を混同しているのだ。
それとも、こちらが誤解を招くような態度をとってしまったのか。だとしたら悪いことをした。
きみは恋に恋をする、というハシカにかかっているようなもの。諄々と諭すのも教師の務めで、しかし矢木の想いが掛け値なしに本物だったら純情を踏みにじることになる。
結局、堂々巡りだ。
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