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第106話

 誤字・脱字にも注意を払ってマル、バツをつけていって残りは二枚。赤ペンを握りなおしてから、氏名を記入する欄に矢木大雅とある答案用紙を机の真ん中に置く。  そこで余白に極小の薄い字で〝裏〟と記されているのが目に留まった。  なんの気なしに裏返してみた。すると枝をモチーフにした縁取りの中に、暗号めかした短詩が書かれていた。 〝スリー、トロア、トレ。大切なもの、綺麗だと思うもの、大好きなもの〟。  ペン先で掌を突いてしまい、痛みで我に返った。スリーはもちろん、トロアとトレも確かドイツ語とイタリア語で三という意味だ。  つまり、この詩は三枝を歌ったもの。  咄嗟にノートをかぶせた。落書き禁止と書き添えたうえで答案用紙を返すと、読んだと暗に認めたことになり、ひいては矢木と目が合うたびに返答を迫られているような気がするに違いない。  大切、綺麗、大好き? 肌寒いくらいなのに顔が火照って仕方がない。  眼鏡のレンズを丹念に磨いてからノートをどけた。居住まいを正して答案に目を通しはじめると、相前後してドアがノックされた。  試験終了後も数日間は、生徒の入室は固く禁じられている。国語科ではいちばん下っ端の三枝が応対に出ると、細目に開けたドアの外側で紙袋が上下した。 「息抜きに遊びにきた。差し入れだ」  そう言って目つきで急かしてくる武内のために脇によける。  今夜行くと、かたわらをすり抜けざま囁きかけてこられて、反射的にかぶりを振りそうになった。  答案用紙を家に持ち帰って採点のつづきをすることになるだろうから、正直、今夜は遠慮してほしい。それでいて淡い欲望が躰の奥底で蠢く。  武内と前回ベッドを共にしてから、かれこれ半月。夜が長い季節も相まって、そろそろ人肌が恋しい。

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