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第118話

 昔の疎水伝いに城址公園へと至る、往復五キロ弱のコースだ。  起伏に富んでいて飽きがこないうえに、三枝が住んでいるらしいレジデンス横峯の前を通る。  帰路にマンションのベランダ側に回り込み、道路の反対側に位置するコインパーキングで小休止をとるのが密やかな楽しみだ。  その夜も精算機のかたわらでアキレス腱を曲げ伸ばししながら、窓明かりを数えた。  煌々と明るい部屋も、真っ暗な部屋もある。透視能力がほしい、と切に願う。  悪用する気は毛頭ない。ただ、各戸をちょこっとずつ覗かせてもらって、三枝が本当にここの住人なのか確認させてほしいだけだ。  その過程で、もしも、もしかして三枝が、矢木くんは教えがいがあるな、と独りごちる場面に遭遇したら、うれしさのあまり気絶する。  と、最上階の角部屋のベランダに変化が生じた。手すりにもたれた人物が煙草を吸いはじめたらしくて、微かに臭いが漂ってくる。  三枝が喫煙者なら、耳ざとい女子がとっくに情報を摑んでいる。消去法によって、あそこは三枝の部屋ではないとの仮説が成り立つ。  候補は残り十数室。  手がかりを求めて建物を見回しているうちに、先ほどのベランダがにわかに明るんだ。カーテンと掃き出し窓が内側から開いて、室内灯に照らし出されたのだ。  つられて目を凝らし、軸足をくの字に曲げた恰好で固まった。自慢じゃないが視力は一・五で、夜目もきく。  紫煙をくゆらしているのは武内だ、と断言できる。では三枝がこのマンションの住人だというのはガセで、正しくは武内の住居だったのか。  未練がましく観察をつづけていると、シルエットから男性だとわかるが、逆光に沈んだ人物が窓辺にたたずんだ。そして武内に話しかけたふうだ。  来いよ、でも、といった会話の断片が風に乗って運ばれてきたすえに、言い負かされる形になったようで、しぶしぶという体でベランダに姿を現した。

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