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第119話

   と同時に、矢木は声を殺して快哉を叫んだ。今しも窓明かりを浴びて鮮明に像を結んだのは、三枝だ。  粘り勝ちで、ついに三枝がここで暮らしているという確証が得られた。だからといって訪ねていけるわけじゃないこちらにひきかえ、武内は部屋にあがり込んでいる。  私的な領域に立ち入るのを許されるほど親密だなんて、狡い。妬ましいったら、ない。  こつん、と小石を蹴る。  七歳もの年の差は致命的だ。今だってコインパーキングとベランダの間には、光年単位の距離が横たわっているようだ。  車を出しにきたドライバーが、車上狙いを疑う目を矢木に向けながら精算機に硬貨を投入する。  三枝の住まいを突き止めたという収穫があったことに満足して立ち去る潮時で、しかし後ろ髪を引かれる。  もう一度だけ、と自分に釘を刺してからベランダを振り仰ぐ。手すりに頬杖をついている三枝に熱っぽい視線をそそぎ、すると目を疑う光景が繰り広げられた。  さしずめ〝蜘蛛の巣に捕らわれた蝶〟と題されたパントマイムを見ているようだ。  ほっそりした肢体が抱きすくめにかかる腕からひらりと逃れ、じゃれ合っているような、揉み合っているようなひと幕を経て、しなだれかかる。  矢木は咄嗟に歯を食いしばった。でないと口を衝いて叫び声が迸る。  三枝が再びもがきはじめ、武内がなだめすかしたとおぼしい。一旦、離れたふたつの躰がぴたりとくっついて、唇が重なった。  いつしか血がにじむほどきつく、唇を嚙みしめていた。痛みで正気づき、梃子を()うように指を使って上下の唇を引きはがす。  そして、わざとらしく伸びをした。  三枝と武内がキスする瞬間を目撃しちゃった? ありえない、絶対にありえない。幻覚を見たに決まっている。  願いは無残に打ち砕かれる。  頭上のふたりは狂おしく唇を貪り合い、絶望というナイフで純な恋心を切り刻むようだ。

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