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第123話

 折しも朱唇が目に入る。教科書を音読するさい、綺麗な弧を描いて開閉するあの唇を武内が吸った。それは冒瀆だ、手ひどい裏切りだ。  ゆうべは寒かった。ふたりはあれから程なく部屋に入って、そして……?  培養土の袋にスコップを突っ込み、荒々しく掬った。  土の欠けらが眼鏡のレンズにまで飛び散り、三枝が反射的に目をつぶると、その表情が武内とくちづけを交わしていたさいに浮かんでいただろうものと妄想の中で二重写しになる。  自家中毒を起こしたように、今さらめいて猛烈に腹が立ってきた。  穴を掘り、等間隔に仮植えした苗の根元に土をかぶせていく。矢木はうつむきがちに、できるだけさりげなく切り出した。 「従兄が、ぼやいてて。結婚した友だちが遊んでくれなくなって淋しいって」 「男の友情あるあるだね。ゼミの先輩にも、いわゆる鬼嫁にスケジュールを管理されている人がいるよ」  そう言って肥料となる石灰を()き込む人と、武内の間に波風が立てばいい気味だ。  なんて幼稚でセコい考え方だろう。口を慎め、と自分に命じても抑えが利かない。とぼけて言葉を継ぐ。 「武内先生も、そろそろゴールインなのかな。俺、先生と彼女さんのラブラブツーショットを見せつけられたことがあって……」  石灰の袋が倒れて、あたりがつかのま薄灰色の霧で霞んだ。  それを風が吹きさらうにしたがって、ぎいぎい、と錆びついた蝶番が軋むような緩慢さでもって三枝が袋を起こした。  ざまあみろ。矢木の中の負の部分が、ほくそ笑んだ。正の部分は、醜く口許をゆがめているだろう自分に嫌悪感を覚えた。  復讐心に燃えて、俺は好きで好きでたまらない人に毒をそそぎ込む。薄汚いチクり野郎に成り下がる。  小刻みに震える手で石灰をかき寄せるさまに流し目をくれて、朗らかに締めくくった。

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