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第126話

 少しためらってからブレザーの肩をぽんと叩く。覿面に体を固くするさまに、淋しいものを感じた。  チャイムが鳴り、矢木への無言のメッセージに、と努めて軽やかな足どりで教室をあとにする。ちょうど次のコマが空いていたことから、職員室に戻りがてら保健室に寄った。 「すみません、胃薬を分けてもらえますか」 「胃の不調は、おなかにくる風邪のせいかもしれませんね。先に測ってみましょう」  養護教諭から体温計を手渡された。三枝は丸椅子に腰かけると、体温計を腋に挟んだ。  折よくベッドで(やす)んでいる生徒がいないことから、養護教諭は生活習慣にまつわる質問をいくつか投げかけてくる。 「三枝先生は独り暮らしでしたね。スリムなのは体質として、自炊はするほうですか?」 「肉と野菜を炒めて、ご飯を炊く程度です」 「三大栄養素をバランスよく()るよう心がけてくださいね。そうそう、さっきまで武内先生がいらしていて、先生の得意料理は自分でスパイスを調合するキーマカレーですって」 「へえ……かなりの本格派ですね」  大げさにのけ反ってみせた。  武内が料理男子? 寡聞にして知らなかった、というより改めて考えてみると武内の好きなアーティストも、通っているジムの名前も、猫派か犬派かさえ知らない。  カリを強めに吸うと悦ぶとか、セックスに関するデータは相当量が蓄積されたのだが。 「武内先生も風邪をひいたっぽいんですか」 「ヤケ酒を飲んで宿酔(ふつかよ)いだそうで、頭痛薬を服んでいかれましたよ。でも、本当は祝い酒だったんじゃないかしら。鼻歌を歌ってたもの……いけない」  養護教諭は急に真顔になると、ひそひそ声でつづけた。 「守秘義務に違反しちゃう。聞かなかったことにしてくださいね」    三枝は鹿爪らしくうなずいた。三十七度二分と微熱があるのとは別の意味で、すっきりしない。遅くとも昼休みには返信があることを願って、武内にLINEした。 〝今夜か明晩、会えませんか〟。

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