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第10章 睦月

    第10章 睦月  教室の雰囲気が暗い。さしずめLEDライトを十ワットの裸電球に取り換えたくらい、暗い。  矢木は廊下に面した引き戸を開けたとたん、回れ右をしたくなった。 「グッモーニングエブリバディ」などと、おどけてみせたが最後、袋叩きに遭うのは必至という緊迫感が漂っている。  大学入学共通テストまで、あと五日。テンパっているのは矢木も同様で、足音を忍ばせて自分の席に着く。さっそく単語帳をめくったところに、隣の席の生徒が話しかけてきた。 「卒業旅行はTDL派? USJ派?」 「おまえはすげぇよ。空気の読めなさ感、最強レベルだわ」  単語帳で頭をはたいて返した。されど卒業旅行とは魅惑の響き。  仮に三枝と一緒なら、あばら家同然の旅館でさえ、きっとパラダイスだ。  ただし浴衣の裾が乱れて(くるぶし)がちらついたりだとか、湯あがりの色づいた肌だとか、数々の悩殺ショットを前にして、おあずけを食らった犬のような気分を味わう羽目になること請け合いだ。   その三枝のご尊顔を拝する現代文の授業は、殺伐とした日々にあってオアシスさながらだ。堅苦しい文体の随筆という、つまらない単元も、メリハリが利いた三枝の音読をバックに字面を追うと興味が湧く。  ところが艶のある声にうっとりと聞き惚れているさなかに、不思議な現象が何度か起こった。   たまたま顔をあげた瞬間、三枝がふいと明後日の方向を向く。  それが一回こっきりなら偶然と片づけるところだが、度重なると耳たぶがじわじわと熱を持つ。  矢木に気取られる寸前まで矢木を見つめていて、尻尾を捕まえられる形になったら都合が悪い。  だから、その場を取り繕ったふうに思える不自然な動きだった。  あるいは勉強漬けの脳みそが、願望丸出しの白昼夢に癒やしを求めたのだろうか。

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