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第140話

「智也、拗ねるのもいいかげんにしろ。嫁は嫁、おまえはおまえ。平等に扱ってやると言っているのに何が不満だ」 「それを詭弁を弄すると言います。ましてや、あなたはもうすぐ父親になる。父親の自覚を持って家庭を築いてください。」  矢木は咄嗟にしゃがみ、ずるずると後退した。マジで? 嘘だろ? と心臓が踊り狂う。  衝撃の事実その一。女子にやたらと受けがいい武内が極秘に結婚していた。衝撃の事実その二。妻子持ちの分際で三枝にしつこく言い寄る。  いけ好かない野郎だと前々から反感を抱いていたが、本物のクソッタレだとは夢想だにしなかった。  それはそうと修羅場に来合わせてしまった形だ。腕組みをして思案に暮れる。三枝を助けにいくべきか、いかざるべきか。  もしも痴話喧嘩の類いにすぎなかった場合、仲裁に入ったら顰蹙を買って終わりだ。  だいたいプライバシーに干渉することじたい出すぎた真似だ、という自覚はある。  静かに立ち去るに一票、しかし、いや、うぅむ。などという調子で判断に迷っていると、切迫した声が聞こえた。 「やめてください!」  矢木は弾かれたように立ちあがった。武内のように世渡りが上手っぽい人間は、公共の場所で暴力をふるうのはリスクが大きい、と計算ずくで動くはず。  だが殺人の動悸が痴情のもつれ、という例は枚挙に(いとま)がない。  そっと、そうっと書架の陰から首を伸ばして、息を吞んだ。  袋小路のように奥まった空間で、四本の足が入り乱れて埃を舞いあがらせて、純白のワイシャツとストライプのそれが、ひと塊になって蠢く。  武内が三枝の両手を摑み、足の間に膝をこじ入れて、縫いとめるように背中を書架に押しつけている。  そして、ある表紙は折れ曲がり、別のページには靴痕がくっきりとついた書籍が散乱していた。

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