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第147話

「確たる根拠もなしに人をストーカー呼ばわりするのは名誉棄損だぞ。憶えておきなさい」    武内は鼻で嗤った。昂然と胸を張って、矢木のかたわらを強引にすり抜けようとした。  矢木はすかさず横にずれて、行く手を阻んだ。そして、靴の爪先同士がくっつくほどの至近距離で武内と対峙する。  身長はほぼ同じだが、ガタイのよさでは武内が上回り、少なからず気圧されるものがある。人生経験の豊富さについては足下にもおよばない。海千山千の教師と渡り合う武器は、真剣な恋心だ。  仏頂面を睨みつけると、うってかわって爽やかな笑顔でいなされた。 「あのな、矢木。正義の味方きどりでしゃしゃり出る、おまえにぴったりの慣用句を教えてやろうか」  鍔迫り合いを演じるように、ふた筋の白い息がもつれ合って棚引く。武内は難問の解き方をわかりやすく説明するときさながら、嚙んで含めるようにこう言った。 「人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじまえ」  語尾にかぶさって、退場を促すように肩を叩かれた。  矢木は害虫が這い回ったというようにその手をはたき落として、挑発した。グラウンドコートのポケットに指を引っかけて、ちらりと中を覗く。  よしよし、スマートフォンは〝いい仕事〟をしている。ふくみ笑いを洩らしてから、明瞭な発音を心がけて核心に斬り込んだ。 「ひなた台高校で数学を担当してる武内史明先生、後学のためにもういっぺん質問です。奥さんがいながらストーキングの標的を荒っぽいやり方で口説いてるって疑惑が浮上してるんすけど、真相はどうなんすか。教育上、不倫はヤバいっしょ」    笑殺される確率は九十パーセント台。そう踏んでいた。武内的には難癖をつけられている状況で、みすみす言質(げんち)を取られるようなミスは犯さないだろう──と。

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