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第149話

 矢木は鳥肌が立つのをこらえながら、武内に身をすり寄せた。ポケットの口を少し広げる一方で、共犯者然と拝む真似をしてみせた。 「要するに武内先生は欲望に忠実なんすね。男も女もOKって守備範囲が広くて、不倫も二股もやったもの勝ちって、ある意味、男のロマンかもっすよ。あやかりたいんで、モテ男の極意を授けてほしいなあ」  痛くもない腹を探られて苦々しく思っている、というポーズなのかもしれない。あるいは、よくぞ訊いてくれた、という露悪的な誘惑に勝てなかったのかもしれない。  武内は煙草をパックから振り出すと、フィルターの底をとんとんとライターに打ちつけた。  そして明らかに矢木を焦らす目的で、ゆったりと紫煙をくゆらしてから言葉を紡ぐ。 「刺身も焼肉も美味いだろう?」  穂先がこちらを向き、矢木は手で煙を払いながらも思わずうなずいた。 「ほら、な。両方食いたくなるのと同じ理屈だ。魅力的なやつをどちらも自分のものにしたがるのが、そんなに悪いことか? 不倫だの二股だのとモラリストぶって俺と縁を切った気になっているぶん、智也は一から躾けなおしだ」 「はい、詰んだ」  高らかにそう言って、ポケットからスマートフォンを取り出した。優勝トロフィーさながら麗々しく掲げると、にんまりした。 「録音するのに協力してくれて、あざっす。自白ってのがポイント高いっすからね。音声ファイルを校長あたりに匿名でプレゼントしちゃおっかな。それともSNSで拡散とか」 「小ざかしい真似を。貸せ、消去してやる!」    ブリーフケースが、スマートフォンを握った手をめがけて振り下ろされた。矢木はひょいと後ろに跳んで、武内に蹈鞴(たたら)を踏ませた。  餌は撒いた。武内は力ずくでスマートフォンを奪いにくるに決まっているから、せいぜい翻弄してやることにする。

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