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第152話

   得々と暴言を吐いているふうだった口が閉じられたのを見定めてから、ゆっくりと指を引き抜いた。  殺意が芽生える仕組みというものをおぼろげながら理解した、と思う。  矢木は繰り返し耳に甦る──ガマン汁云々──を、箱に詰めて、その箱に鍵をかけて、さらに鎖で雁字搦めにしたうえで海に沈めた、と懸命に自己暗示をかけた。  曲がりなりにも落ち着きを取り戻すそばから、武内を蹴り落としてやりたい衝動に駆られて、利き足を上げ下げする。  ごろごろと転げ落ちる間に顔をぶつけまくって、無駄に形のいい鼻がつぶれちまえば、クズい男にはいい薬だ。  こめかみが脈打ち、目の前が真っ赤に染まる。相手はへばっている、逃げられる恐れはない。  石段を駆け下りて武内とすれ違いざまポンと蹴れば、一気にカタがつく。  ざざ、と葉ずれがゴーサインを出す。躰に染みついたスタート時の態勢をとり、片足を宙に浮かせたせつな、矢木くんと、おっとりした声が頭蓋でこだました。  ぴたりと動きを止めた矢木の足下には、ドングリがいくつも転がっていた。  その中のひとつがころころと転がり落ちていき、武内に命中したとみえて、腕をさするシルエットが揺らめいた。  憑き物が落ちたように、我に返った。矢木はくるりと背中を向けると、のんびりと歩きだした。  軽蔑の対象でしかない男など、わざわざ手を汚す価値もない。まあ神社に来たついでに、 「クソッタレを不治のインポテンツにしてやってください」  氏神様に祈願していくが。  賽銭をはずんで、実際にそうした。柏手を打つとスッキリして、大きく伸びをした。 「さっ、うちに帰って問題集でもやるかあ」  鳥居をくぐったところで、ちょうど雲が切れて北極星がきらめいた。古来から船乗りの羅針盤であった、それ。  俺にとっての北極星は三枝先生だ、と爪先立ちになり、天をかき抱くように腕を広げた。永久不変の輝きに導かれて未来へと漕ぎ出す。  その未来が三枝とともに在るものであれば、言うことなしだ。

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