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第11章 如月

    第11章 如月  三枝には最近、新しい日課ができた。  ドカ雪が降って交通機関に影響しては困る、どの大学も入学試験当日は好天に恵まれますように。教え子が全員、平らかな気持ちで試験会場に入ることができますように。  そんな願いを込めてこしらえたテルテル坊主を窓辺に吊るしてから、ネクタイを締める。  鉢植えのポインセチアに「いってきます」と話しかけてから、通勤用の2WAYバッグを背負う。  後者に関しては、痛い真似が癖になった、と顔が赤らむものがある。いってきますのあとに「矢木くん」と付け加えなければ、ぎりぎりセーフだろうか。  二月に入って、三年生は自由登校になった。おのずと出勤時、矢木と同じバスに乗り合わせることも、校内のどこかで姿を見かけることもなくなった。  中だるみのミステリ小説のように味気ない毎日だ、と思う。ポインセチアの世話をしているときだけは、心にぽっかりとあいた空洞がふさがるような気がして、水をやり、肥料をやった。  奇特なことに、推薦合格組の生徒がぽつぽつと授業を受けにくる。  ただし彼ら乃至(ないし)彼女たちを相手に、二葉亭四迷が近代文学の成り立ちに果たした功績について講釈を垂れようにも、授業そのものに消化試合のようなだらけた空気が漂っていて張り合いに欠ける。  もっとも、いわばモラトリアム期間を満喫している生徒に、接続詞だの、間投詞だのに興味を持てと迫ることじたい無理がある。  三枝は教科書を伏せた。空いている椅子をひとつ教壇に持ってくると、腰を下ろしがてら私物の文庫本を開いた。 「きみたちの世代では古典の部類に入ってしまうのかもしれないけれど、ショートショートの神様と謳われる作家の作品を朗読します。眠ければ寝てもかまわないからね」  にこやかに前置きしてから、躰を洗うのも移動用のポッドに乗るのも、すべて機械任せという社会を描いた一編を音読しはじめた。  正味十ページ程度だが、寓意性に富んでいて普遍的な面白さがある。数名の出席者は居眠りするどころか聞き入っているうえに、三枝自身も物語にのめり込んだ。

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