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第156話

   そこでチャイムが鳴り、三枝はそそくさと教室を後にした。  彼女にしてもらう。あながち冗談とは言えない口ぶりにカチンときて、大股でずんずんと歩く。  だが、お生憎さまだ。制服の第二ボタンという稀少価値が高くて、別格の相手に贈るアイテムは売約ずみで、何を隠そうおれがもらうことになっている──。  ぴたりと立ち止まった。誰が矢木に告っても本人の勝手で、対抗意識を燃やすことじたい滑稽だ。  だいたい卒業したら改めてアタックする云々、といった戯言(たわごと)を真に受けても馬鹿を見るだけ。  それ以前に武内と別れました、じゃあ矢木に、と乗り換えるような真似をするのは矢木に対して失礼だ。  などと、殊更すたすたと職員室に戻る途中、武内と出くわした。咄嗟に出席簿をかき抱いて廊下の端に寄る。  まがい物の愛に翻弄された記憶はまだ生々しくて、自然と身がまえてしまうものがある。ところが、てっきり嫌味のひとつも言われるかと思いきや、武内は目礼をよこしたのみで通りすぎていった。  三枝は出席簿を小脇に抱えなおした。矢木には、どれほど感謝しても感謝しきれない。  ──うまく手なずけたものだな。おまえの番犬は案外、頭が切れる……。  と、武内に嘲罵されたことがあるあたり、矢木曰く〝保険〟の音声ファイルは抑止力としての効果が高い。  おそらく武内はゲームの主導権を握れなくなった時点で興を()がれ、イチ抜けをしたのだろう。  矢木が大博打を打つにあたっての原動力となったものが恋心だとしたら……やめよう、おれは教師で矢木は一生徒。そのスタンスを貫いて学び舎から送り出すのだ。  職員室の自分の席に着き、パソコンを立ち上げた。空き時間を利用して一、二年生の期末試験の問題をピックアップしていく。  その間も、ともするとホワイトボードに視線が吸い寄せられて仕方がない。  受験する生徒の氏名とその志望校、試験日と合格・不合格をまとめた一覧表が、悲喜こもごもという様相を呈す。

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