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第157話

〝矢木大雅〟の欄は、すべり止めの大学名がすでに丸で囲まれている。  本命は大学陸上界の名門・明鳳(めいほう)大学で、試験はあさって実施される。合格発表はその十日後で、サクラが咲けば、矢木は春からはスポーツ科学を専攻する大学生だ。  明鳳大学は、電車を乗り継いで片道二時間半と自宅から通えない距離ではない。ただし受講についてはともかく、アルバイトやサークル活動を制限されるのは必至。  ましてや矢木の場合、陸上をつづける気なら寮に入るか、大学の近くにアパートを借りるのが無難だ。  では地元に残った恋人とデートする回数は、ひと月あたり数回が限度か。  なるほど、プチ遠恋とは言い得て妙だ。物理的な距離が心理的なそれに比例して連絡が間遠になれば、矢木は心変わりしたのかもしれないと疑心暗鬼に陥って、つまらないことで喧嘩になるだろう。  なかなか会えないという前提条件のもとで愛を育んでいくには、淋しさすら愛情に昇華されるくらいでないと無理だ──。  いつの間にかディスプレイが、遠恋のふた文字で埋め尽くされていた。  三枝は目縁に朱を()いてBack Spaceキーを連打した。  矢木の恋人の立場に自分を当てはめて、ああでもない、こうでもないと頭を悩ませる? みっともない、立場をわきまえろ。  眼鏡を外し、レンズを丁寧に磨いてからかけなおす。出題範囲と配点のバランスを考えながら雛型を作っていると、引き戸をノックする音が響いた。  機敏に応対に出たとたん立ち尽くす。一瞬、潜在意識の悪戯によって出現したホログラムの類いだと思い、だが、そんな装置が職員室に備えつけられているわけがない。  戸枠をふさぐ形で固まっていると、矢木が小さくガッツポーズをした。 「ラッキー。先生を捜し回る手間が省けた」  そう言って心底うれしそうに笑うから、つられて口許がほころぶ。三枝はハッと我に返ると、一転して案じ顔を向けた。

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