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第166話

「矢木くん……目を覚まして、矢木くん!」  悲痛な叫び声が意識下に届いたように、瞼が痙攣した。むにゃむにゃと寝言めいたものが唇から洩れるにしたがって、力なく投げ出されていた足がぴくりと動いた。  と同時に何かをくるみ込むようにダウンジャケットの胸元にあてがわれていた手の下から、縞模様の塊がごそごそと這い出してきた。  それは仔猫だ。三枝と運転手は、そろって目をぱちくりさせた。  仔猫がダウンジャケットで爪を研ぎはじめ、引っぱり出した羽毛にじゃれつくさまを呆然と眺めていると、矢木が欠伸交じりに上体を起こした。  三枝は、あわてて矢木の背中に手を添えた。 「動いては駄目だ。救急車を呼ぶから安静にしていること」 「救急車? いらない、いらない」  矢木は仔猫を抱いて立ちあがると、ぴょんぴょんと飛び跳ねてみせた。 「トラックが来てるのに、この子が道の真ん中で固まっちゃって。助けに行ったのはいいけど、足がぐぎっとなってコケるとか、最悪にハズい。で、朝まで問題集と格闘してたせいかなあ、意識がすこーんと飛んで、ついでに寝落ちしたみたいっす」    照れ隠しのように早口でまくしたてると、なあ? と仔猫に話しかけながら喉をくすぐってやった。  三枝は、立ちくらみに襲われながらも地面を踏みしめた。運転手に向き直り、深々と頭を下げた。 「本校の生徒が、ご迷惑をおかけしました」 「寿命が縮まったぜ、勘弁してくれ」  運転手は矢木をひと睨みしてから運転席に戻った。地響きを立ててトラックが走り去り、野次馬もいなくなると、スリップ痕がくっきりと残っていることを除けば、別段変わったことはない。  葉ずれがさやさやと歌う通りで、スズメがのどかにさえずり交わす。  三枝は、矢木の背中から転げ落ちたリュックサックを拾いあげた。眩暈がひどくなり、斜線が視界を何本も走って、気を抜いたとたん(くずお)れてしまいそうだ。  ぶるぶると震える手でリュックサックを差し出し、かすれ声を振りしぼった。 「おれも、寿命が縮まった……」  蒼ざめるという段階を通り越して土気色を帯びた顔は、百万言を費やすより三枝の胸のうちを物語る。

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