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第171話

 矢木は、ぎょっとした。レンズ越しでさえ一目瞭然なくらい、目が真っ赤だ。  卒業式のどこかの場面で、もらい泣きに瞳を潤ませるどころではないくらい、号泣する瞬間があったのだろうか。 「卒業ならびに第一志望合格、おめでとう」  三枝が開口一番、そう言った。うなずき返して、わざとのろのろと歩く。教壇の手前で立ち止まり、〝休め〟の姿勢をとった。 「黒板アートは、ちょっとした絵画展だね」  徳川の歴代将軍の名前、前置詞に接続助詞、あるいは方程式や元素記号……等々。  その手のもので埋め尽くされていた黒板が、今日は巨大なキャンバスと化している。七色のチョークを駆使して描かれた絵は、後輩からの心づくしの贈り物だ。  美術部の部員を中心に一、二年生の有志が加わって制作に携わる。それが、ひなた台高校の伝統だ。  去年は矢木も制作チームの一員だった。あのころは一年後なんて遠い未来の話だった……そう思うと、鼻の奥がつんとなった。 「今年の共通のテーマは虹色の楽園か。すばらしい出来栄えで消すのがもったいないね」 「写真、いっぱい撮ったんで……」  ごにょごにょと濁し、卒業証書が入っている筒で後ろ頭をぽくぽくと叩いた。先生のスマートフォンに画像を送る、ついてはメールアドレスを教えてほしい──。  喉から手が出るほどゲットしたい情報を、さりげなく聞き出す。そんなスキルがあるわけがない。  スラックスの尻ポケットからスマートフォンを出したり引っ込めたりしていると、胸元に指が向けられた。 「ところで、ずいぶんセクシーな恰好だ」  矢木は、あわててブレザーの衿をかき合わせた。ブレザーのボタンはおろか、カッターシャツのそれまで全部もぎ取られて、ちぎれた糸が垂れているさまが実に切ない。  この日のためにシミュレーションを重ねてきたのに、本番ではアンダーシャツが丸見えだとは、トホホだ。  あまつさえ痛恨の出来事があって、筒を弾き飛ばしながら両手を打ち合わせた。

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