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第174話

 校章を握りしめる手に力がこもり、ピンが指に刺さった。 「大学には、おれの何倍も素敵な人間がたくさんいるに決まっている。電車を乗り継いで往復五時間の道のりは、恋情を薄れさせる致命的な距離に思える」 「そんなこ……!」  掌を向けて反論を遮っておいて、できるだけ淡々と言葉を継ぐ。 「きみに限って、あっさり心変わりするわけがない。ただ、おれは悲観的で、重いやつで、きみの負担になるのが怖い。怖くて本当の気持ちを打ち明けられな……」  きっぱりと語尾をさらいとられる。 「毎日電話をする。メールも、LINEも。週末は絶対帰ってくるし、先生も会いにきてほしい」  両の肩にがっしりと手が置かれた。掌を通して至純の想いが伝わってくる。何万回となく誓う以上に、この熱情は本物だと教えてくれる。  そう、ためらいという名の氷の塊をいとも簡単に融かすだけの熱量があった。 「会いに、いく。行くよ、必ず」  必ず、と嚙みしめるように繰り返しながらスマートフォンを操作した。  矢木も大急ぎで倣い、おお、と感激の面持ちで自分の頬を思い切りつねった。 「両思い確定って万歳しても大丈夫っすよね。糠喜びってやつだったら、ギャン泣きします」  片時もじっとしていられない様子で、教卓に飛び乗るわ、飛び下りるわ、バク転を決めるわ、と忙しい。  三枝は笑みくずれた。矢木の青春を謳歌している感が眩しくて、あけっぴろげな性格が好ましくて、子どもっぽさと大人っぽさが同居する点に惹かれて。  ひとつひとつが積み重なっていくうちに、いつしか恋に落ちていた。  掛け値なしに人生最良の日で、世界中が黄金色(こがねいろ)に輝いて見える。逆立ちで校内を一周しろと命じられても、今なら鼻歌交じりにやってのける自信がある。  想像上のものだが、すこぶるつきに美しい花が黒板アートを縁取る。  矢木が〝若人よ、未来へ羽ばたけ!〟と英語で綴られたひと隅を背にして立ち、咳払いをした。

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