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【3】

 シルビオがベッドの上で細い腰を掴まれ、ヘラルドの長大な楔に貫かれていた時、勅令を受けた兵士が国中を駆け回りΩ種を全滅させた。  その指示は事細かにヘラルド自身が警備兵たちに下した。  有能な兵士たちに殺されたΩ種の死体は折り重なる様に大きく掘られた穴に投げ込まれ、森から切り出した大木をそこに積み火を放った。  街には耳を塞ぎたくなる叫び声。それが徐々に嘆きと悲しみの声に変わった。  それを街に面したシルビオの部屋のバルコニーから眺めていたヘラルドは、薄い唇をわずかに綻ばせた。 (これで王を苦しめる者はいない。だが……)  縋る様に求め続けるシルビオはまだ――自分の元へは堕ちてはこない。  国境近くの空が赤く染まる。国中のΩ種を焼く炎は天高く昇り、渦を巻きながら火の粉となった愛と憎悪を散らす。 (王を憎むものは許さない……。俺たちの邪魔をする者も……)  ヘラルドの瞳に赤みが増す。それは炎が映り込んだものなのか、それとも……。 「――孕まないのならば、孕ませてもらえばいい」  低く唸る様に呟いたヘラルドの口元には鋭い牙が伸び、バルコニーの手摺に掛けた指先にも爪が長く伸びていた。  稀有な狼の血統を守るには。そして……最愛の男の子を成すには。  ヘラルドは綺麗に六つに割れた腹筋を掌でそっと撫でると、フッと口元を綻ばせた。 「いい匂い……。クク……ッ。まだ気づかないのか……どこまでも鈍感で可愛い男だな」  肩を揺らして笑った時、背後でシルビオが身じろぐ気配を感じて、ゆっくり振り返った。  また貪欲に野獣のように抱き合う夜が始まる……。 「可愛い顔をして、ペニスは立派で俺と遜色ない……。そこがまた、いい……」  ヘラルドは自身の双丘の奥で慎ましげに佇む蕾がキュッと疼くのを感じて舌なめずりをした。  背骨に沿って薄らと生えた薄茶色の鬣が死臭を運ぶ風にそよいだ。  Ω種の発情期は特有の香りに混じりフェロモンを放つ。その香りを長年嗅ぎ続け、感覚が麻痺したα種は……。 「ヘラルド……? あぁ……また、体が……疼くぅ!」  二人の体液がしみこんだシーツの上で、少し幼さを残した愛らしい顔からは想像出来ない長大なペニスを勃起させて、恨めしげにヘラルドを睨むシルビオの声におどけたように肩をすくめた彼は、足早に部屋に戻ると彼の昂ぶった雄茎を手で包み込み、その先端にこれ以上ないほどの愛情をこめてキスをした。 「こんなに硬くして……。シルビオ様はイヤらしいお方だ」 「イヤらしいのはお前の……っは、ほう……だっ」 「では、そのイヤらしい従者に貴方の精液を呑ませて下さいますか?」  恭しく問うたヘラルドは、シルビオのペニスを口に含むと、即座に舌先で鈴口を抉り、激しい水音を立ててしゃぶった。 「あぁ――っ。いい……いいぞ、ヘラルド。お前の中に……出してやるから……一滴も、こぼ……すなよ」 「もちろんですよ……。愛しいシルビオ様」  シルビオの嬌声とヘラルドの低い呟きが重なる。  窓を閉め切った薄暗い部屋の中に響く卑猥な水音と、絶え間なく続く嬌声と散らかる吐息。  互いに求めるものは違えど、向かう先は一つしかなかった。  シルビオは愛を。そしてヘラルドは――。  ジラニー王国の漆黒の空を染める炎はより勢いを増し、西の空に沈む夕日を思わせる。  闇夜に浮かんだ赤い稜線を視界の端に捉えながら、ヘラルドは最愛の男を抱き続けた。  *****  シルビオの発情期の兆候は、狂うことなく翌月も訪れた。  側近であるヘラルドを見る眼差しにどこか艶めいたものが感じられる。何より、キスを強請るのがその証拠だ。  ヘラルドはいつもと変わらない朝を迎え、愛するシルビオにそっと口付ける。満足げに微笑んだ彼の身体から放たれるオスの匂いに心臓が大きく跳ねた。 「――シルビオ様。今日は街の警備の見直しと先日の雨で崩れたという丘を視察して参ります。間もなく発情期ですね……。貴方はこの部屋で安静になさっていてください。あと……飲料水はここの水差しに入っているものだけにしてください。最近、あの湖の水質が芳しくないようですから」 「人を病人扱いするな」 「発情期は体力を激しく消耗します。幸い、急を要する公務は今のところ入ってはおりません」  金狼の血を継ぐ最後の存在。彼にもしものことがあれば伝説の血はこの世界から消滅する。  それを守り、継承していく――それがヘラルドに与えられた使命なのだ。 「――ヘラルド。今日はやけに優しいな? 何か良いことでもあるのか?」  いつでも心の内を見透かすようなシルビオの美しい瞳。その純粋さに邪な想いを抱くヘラルドは苦しめられてきた。 でも――それも、もう終わりに近づいている。  愛する王を我がものにし、自分だけを愛することしか出来なくする。  そして、金狼の子を……。  そのためだけに生きてきた。それを成し得るためならばどんな努力も惜しまない。 「良い事があることを願っています……」  含みを持たせるよう喉の奥で笑ったヘラルドを訝る様に見つめたシルビオだったが「それがいい」と抑揚なく応え執務机に向かった。  シルビオの部屋をあとにしたヘラルドは黒い外套を纏い、人目につかぬように城の裏口から馬を駆り飛び出した。  正面にある城門の両側には全身を硬い筋肉に覆われた屈強な大男が立つ。女性の腰ほどある太い腕には重厚な城門扉を開閉する頑丈な鎖が巻き付けられている。いざという時はこの鎖を緩め、門扉を閉めることで敵襲から城を守ることが出来る。城内の治安はこの二人の大男にかかっていると言っても過言ではない。  彼らに城から出るところを見られるのはいろいろと面倒な事になる。そのためにヘラルドはあらかじめ裏口に馬を用意しておいたのだ。  朝露が朝日を受けて道端に咲く花々を輝かせる。街の中央にある広場も、そこに繋がる石畳のメインストリートも人の気配は少ない。ヘラルドは慣れた手綱さばきでそこを横切り、国民の水源となっている湖へと急いだ。  湖底が見えるほど澄んだ水を湛える湖は、この街に住む者の喉と生活を潤す。  ヘラルドは周囲に目を配り、外套の中に手を入れるとそこから茶色い瓶を取り出した。中には粒子の細かい白い粉がぎっしりと詰まっていた。  馬から下り、その瓶を蓋を開けながら湖のほとりに近づく。そして、自身の口元を布で覆いながら、その瓶をゆっくりと傾けた。  湖上を吹き抜ける風がわずかに水面を波立たせる。白い粉がその波紋に乗って広がると、それまで透明度を誇ってた水がどす黒く変色し始めた。  国の重要機密機関で厳重に保管されている猛毒。この原料はジラニー王国内にしか自生しない特殊な薬草で、微量ならばどんな病気にも効果があると言われている万能薬ではあるが、ほんのわずか度を越えただけで致死量に達する劇薬だ。それを生成し粉末状にしたものがこれだ。  これを生活用水として利用しているこの湖に撒くことで、ヘラルドの国民抹殺の手間は大いに省ける。 「――誰とも交尾させてなるものか。あの方の子を身籠るのはこの私なのだから……」  α種であると偽り、常時でも発情の症状を抑えるために抑制剤を呑み続けて来たこの国でたった一人のΩ種。  シルビオに気づかれずここまで来たのは奇跡としか言いようがなかった。しかし、ここ数年は薬の効きが悪く発情期になるとフェロモンを完全に抑えこむことが不可能となり、シルビオの発情をより激しいものへと変えてしまっていた。幸い、シルビオが自身の発情期の症状がひどいのは街中のΩ種のせいだと思い込んでくれたお陰で事なきを得た上に、手を掛ける人数も大幅に減らすことが出来た。  伝説のように語り継がれる『運命の番』――出逢った時、自我を失うほど相手を求め、そばにいるだけで発情しフェロモンを撒き散らす。 「私と貴方は生まれながらにして運命に導かれ、出会い、そして愛し合うのですよ」  瓶の中身をすべて撒き終え、その瓶を湖底に沈めたヘラルドは赤みがかった瞳を細めて微笑んだ。  ヘラルドが夢見て求めたのはシルビオと紡ぐ究極の愛。  それが間もなく手に入ろうとしている。嬉しさと興奮で心臓が早鐘を打ち続けている。 「喜ぶのはすべてが終わってから……。本番はこれからです」  外套の裾を翻し、ヘラルドは再び馬に跨ると、街に向かって走り出した。馬上の鞍で揺れる麻袋の中に入れられた大量の爆薬と時限発火装置を携えて……。

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