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(二)

 父の実家は元士族で、地元の名家だった。  屋敷は大きく、お手洗いすら一人ではたどり着けない。  僕には世話係がつけられた。彼は(しゅう)といった。秀は三月に誕生日を迎える十三歳で、僕より四歳年上。第二の性は劣等とされるオメガだそうだ。十三なのに中学に行かせてもらっていないなんて。ここが田舎で、秀がオメガだからこんなことがまかり通るのだろう。  家を取り仕切るアルファの祖母には腹が立った。が、秀がいなければ何もできない僕はここでも口をつぐむしかなかった。それに僕自身が特別支援学校には通っていない。田舎だから近くに学校がない。僕の教育も放棄されたとしか思えない。 「家庭教師をつけます」  そう祖母は言ったが、つける気配もない。  寒さが和らいできた頃、縁側で鬱々としながら、音声認識機能を付きのパソコンで調べ物をしていた僕に、秀が庭の方から声をかけてきた。 「良様、いいお花が咲いていましたよ」  甘酸っぱい香りが鼻腔をくすぐる。懐かしい匂いだ。 「お手をどうぞ」  持たされたのは小さな花の集まりだ。わさわさしていて、感触は気持ちよくない。  当てずっぽうに「小手毬?」と訊くと、秀が鈴のようにころころと笑った。 「沈丁花です。良い香りでしょう?」  名を聞いて僕は力が抜けた。  ああ、この花は離れた東京の家にも確かあったはず。奥まったところにひっそりと。  他の家族は気がつかないけれど、僕だけがその香りに気がついて、母に名前を聞いたのだ。 『あなたのお祖母様が私たちが結婚したときに植えるよう手配をしてくださったのだけど、香りがきつすぎる花だから隅に植えてもらったの。良さん、よくわかったわね』  僕は少し眉をひそめた。 「近くだとこんなきつい香りなんだね」 「お気に召しませんでしたか?」 「秀は好きなの?」 「大好きです。一年中咲いていて欲しいくらいです」  僕は笑った。 「それじゃ、他の花の香りが負けてしまうね」 「それでもいいです。私にはこの香りが必要なんです」 「必要?」  秀が花を取り上げた。 「ああ、すてきな匂いです」  何かごまかされたのはわかった。だが、表情を知ることができない僕にはどうしようもなかった。 「そんな花より、僕の柔軟体操を手伝ってくれ」 「かしこまりました」  秀が上がってきて、前屈や腹筋などの運動に手を貸してくれた。 「毎日ご熱心ですね」 「本当は泳ぎたいんだ」 「この近くに泳げるところはございません」 「池や川も?」 「不知ヶ淵(しらずがふち)というところがございますが、そこは一度水に入ったら二度と出られない場所でございます。泳げませんよ」 「なぜ出られないんだ?」 「水に流れがあるとか。また、水神様のお住まいなので魅入られて出られないとも言われております」 「綺麗な水なのか?」  秀が一瞬黙った。 「とても綺麗で深い青色をしております」 「見てみたかったな」  秀の手に頭を引き寄せられた。秀の胸に当たる。 「ありがとう、秀」 「恐れ入ります」  しばらく二人でじっとしていた。  こんなふうにされるのは気持ちいい。兄とは二つしか違わないが、四歳年上なら兄もこんなふうに優しくしてくれるのだろうか。僕はそんなことを思った

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