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(五)

 八月に兄の優がやってきた。 「ようすを見てこいと言われたから来た」  ぶっきらぼうな兄の言い回しは久しぶりで、少し戸惑った。  兄はたぶん辛い思いをしているに違いない。  僕がいた頃でさえ、両親は兄を放置気味だった。せっかく手土産を持ってここへ来てくれたのに、祖母はベータの兄と顔を合わせなかったらしい。 「別に馬鹿にされるだけだから、祖母(ばあ)さんになんか会いたくはない。ちょうどよかった」  それが強がりだと僕にはわかってしまう。  孫を「財産」などと物扱いできる女傑など、正直ろくでもないと思う。  だが、アルファなのだ。  祖母は佐々木の家が傾き掛けた時、残った全財産を支度金として提供し、ベータの祖父がやっと迎えたアルファの嫁だった。嫁は一応祖父を社長として立てておきつつも、すべてを差配して佐々木の家を再び盛り上げた立役者だ。父でさえ、未だ祖母には逆らえない。  祖母に認められない者は切り捨てられても仕方がない。逆に少しでも利用価値があれば祖母はひとまず懐に入れてくれる。  僕がそうだ。  ベータは違う。兄は危機感をひしひしと感じていることだろう。  その兄が来る一日前から秀は発情期に入って姿を消した。  会わせたかったと思った。秀はとても優しいから。  いや、兄なら僕が世話係をつけられていると知ったら贅沢と思うかもしれない。 (秀が発情期でよかったのかもしれないな)  そう思い直した。  兄が僕の部屋に泊まっているので、正紀には隣の部屋に寝るのを控えてもらった。 「兄弟で、話をしたいから」  半分本当で、半分は嘘だ。 「兄さん、僕探検してみたいところがあるんだけど、一人だと怖いからついてきてくれない?」  下手に出たのが功を奏して、兄は「ついていってやる」と言ってくれた。 「懐中電灯くらいないのか」  兄がぶつぶつ言い出す。 「僕にいらない物は用意できないよ」  行くのは台所の奥にある、百二十センチほどの扉だ。来た当初、屋敷中を手で触って距離や高さを測った時、秀が小さく「あ」と言ったのを聞いた。しかもそれ以来その扉に近づかせないようにしていることに僕は気づいていた。 「気味が悪い」  兄がささやいた。 「本当に行くのか?」 「行きます。まだ探検していないのはここだけなんだ」  僕は扉を探った。 「南京錠がついているぞ」  兄の言葉に力を失いそうになる。 「なんだこれ、きちんとはまっていない。取れるぞ」  かちゃちゃと音がして、兄が言った。 「開けるぞ」  空気が流れ、扉が開いたのがわかった。  その瞬間ぶあっと全身が粟立った。冷や汗が湧く。 (この香り――沈丁花) 「階段になってる。気をつけろ」  兄は何も感じないのだろうか。この異様な、むせかえる香りを。  僕は壁伝いに石段をそっと下りていった。  階段を降りながら、僕は心と体もざわついていることに気づかざるを得なかった。  同時にこの香りの中心に何がいるのか見当がついてしまった。 「なんだこの甘酸っぱい香りは?」  ようやく兄も気がついたらしい。 「だ、だれ?」  苦しげに掠れた声がした。真っ直ぐ進むと、太い柱らしき物に触れた。更に触ると格子状にわたされているようだ。

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