3 / 37
1-2
誰だろうか。
貴遠が鍵を忘れて出かけたのかもしれない。玄関はオートロックだった。
「貴遠…?鍵忘れたのか?」
言って、すぐさま鍵を開ける。
確認、するべきだったのだ。
ノブを回す前に、いきなり玄関ドアは開いた。
驚く間もなく、厚底の黒い革ブーツがドアと玄関の合間に突き刺さるように現れた。
アーマーリングで飾られた指が、見えた。細く、だが節ばった手。
この手をよく、知っていた。
「よォ、元気?シュウちゃーん」
ふざけたような、高い声が響いた。
黒い帽子を目深にかぶった男は、下からのぞき込むように愁の顔を見た。
「か…加瀬…?」
どうしてここにいるのか、信じられなかった。
「そう、俺」
ニタニタと笑う唇は、その動きからは考えられぬほど形は良いはずだった。
この男がもし物静かだったら、美しい人形を思わせる姿をしていた。大学内でも一、二を争う風貌をしていたに違いない。
男女分け隔てなく、彼を放ってはおかないだろう。だが、それは決定的に違った。
皆、口を揃えて、彼をこう呼んだ。
不安定な情緒を持ったナイフ。
つまりは、「危ないヤツ」という意味だった。
「あ、本当に家では裸なんだねぇ…」
言いながら、狭いドアの隙間をこじ開けるように加瀬は玄関の中へと入る。
「な、なんでお前が…?」
ドアを閉めようとするが、その手首をつかまれる。その爪は、黒いマニキュアが塗られていた。
「は、放せよ!」
「ヒドイな。なんだよその言い方。イテテ…あー、痛い」
バタンと、音を立てて玄関は閉まった。小さく、鍵がかかる音さえ、無情に響く。
加瀬は、鍵を見て、愁に向き直るとニタリと笑って見せた。
「コレ、オートロックなんだ?へぇえ、便利ー」
言って、ドアチェーンをかける。
嫌な予感がした。
愁が、後退るように下がると、加瀬は舌なめずりをした。
美しいはずなのに、ぞっと、背筋を冷たい何かが奔るのを愁は感じた。
逃げなければ、と頭に過った。
男友達が遊びに来た、そう思えばいいのか、そうとも思った。
が、知っていた。
この男に纏わる黒い噂を。
ともだちにシェアしよう!