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 愁は、貴遠の気配が無くなるのを確かめると、非常階段の手すりに力なくしな垂れた。 「なんなんだよ、貴遠…」  加瀬とは違う意味で危ない気配がする。  「これから、どうしろって…」  握っていた手を開けば、丸められた写真があった。 「加瀬…なんなんだよ、おまえ…今、どこに」  写真を額の前で握りしめると、愁はため息を吐いた。 「そんな裸足でどこに行くの?」  ふと、階下から声がした。 「!」  見れば、黒いツナギを着た細身の男が、階段を登ってくるところだった。 「きみ、シュウだよね」  口元に髭を生やし、肩までの髪を伸ばした男は、愁を見て言った。 「だったら、なんだよ?」  愁は立ち上がり、後退る。 「あ、俺?大丈夫、加瀬に頼まれて居合わせただけのカメラマン」 「カメラマン…?」  男は、愁の手元を指さす。 「それ、それを撮ったの、俺だから」  男は、背負っていたリュックを下ろし、カメラを取り出した。 「見て、ほら、これ君と、あいつ、妾腹」  差し出されたカメラのディスプレイを覗き見ると、愁と貴遠が写っていた。 「め、めかけ…?」 「あ、ごめん。キオンだっけ。妾腹はあいつのあだ名」  数枚、スクロールして見せる写真の中に、加瀬が写っていた。 「あ…加瀬!」  思わず声に出したその写真は、自分と、加瀬の情事を映し出していた。 「あ、ごめん、これじゃないわ」 「………」  愁は、訝しく男を見た。 「そんな目で見ないでよ。しょうがないじゃん、綺麗でさ。思わず撮っちゃったんだよね」  男はカメラを仕舞うと、ツナギの胸ポケットから名刺を取り出した。  カメラマン・柳田迫、と書かれていた。 「カメラマン・柳田…?」 「迫。ハクって読むんだそれ。…じゃあ、自己紹介済んだから、行こうか」 「行くって?」 「決まってるじゃん、喧嘩のやり直し」  柳田は、スマホを取り出し、ダイアルすると話し出した。   「オーケー、じゃ、いまからアウトレイジしますんで、迎えよろしく」 「え…?」  アウトレイジとは、あまり穏やかな言葉ではなかったはずだと、愁は思った。 「先に行くよ」  すたすたと、柳田は貴遠の部屋の前まで進むと、愁を手招いた。 「シュウ、早く、早く」 「え?え…でも、中には…」 「大丈夫、俺だけ入るから」  柳田は笑って玄関脇に隠れると、インターホンを押した。  しばらく間をおいて、鍵の開く音が響いた。  少しばかりドアが開き、貴遠が顔を出した。 「愁…!どうしたんだ、一体…」  すでに、貴遠は穏やかな表情に戻っていた。愁は、釣られて笑った。 ドアを、激しくぶつける音が響いた。  「!」  見れば、柳田がブーツのつま先をドアの隙間に差し入れたところだった。  貴遠の表情が一変する。ドアを閉めようとするが、ブーツに阻まれ、貴遠は手を放した。 「よぉ、ひさしぶり、妾腹のキオン」  柳田は低い声音で貴遠を名指しした。その目は鋭く、獲物を捉えた猛禽を思わせた。 「あ…あぁ!おま…え…うぁああっ」  柳田の顔を見るなり、部屋の奥に貴遠は逃げた。音を立てることなく、柳田は後を追った。  一人玄関に残された愁は、そっと中を覗く。揉める様な声が響き、静かになった。  喧嘩のやり直し、と柳田は言っていたが、これは。  もしかすると。  愁は、最悪を予感した。 「シュウ、お待たせ、いいよ入っても」  柳田の声が中から響いた。  恐る恐る部屋へと入ると、薄暗い部屋、ベッドの上で、俯せに羽交い絞めにされた貴遠と、涼しげな顔をした柳田が待っていた。貴遠の口元はネクタイで猿ぐつわがされ塞がれている。完全に青ざめて、ぼさぼさに乱れた髪が、目元に垂れていた。 「いっちょ上がり」  呆然とする愁に、柳田は手を振る。 「あ。そうか、付き合ってたんだっけ、君たち。大丈夫?ショックかな、やっぱり…」  柳田は愁を見て、貴遠を見た。気の毒そうな顔をして、ひとりごとのように呟いた。

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