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第10話 長い1日 ③

宮瀬建設 ゼネコントップを走る、大手建設会社だ 外資系ファンドをバックに付け、潤沢な資金と人脈で急成長を遂げた会社だった 康太は後部座席に座っている慎一に向かって手を差し出した すると慎一は胸ポケットから携帯を取り出し、康太に手渡した 携帯を受けとると、康太は誰かに電話を掛け始めた 「オレだ。宮瀬建設にこれから行く」 『ならば!会社の前で待っております』 「悪いな。手間を掛けさせて。」 『いいえ。では。』 電話を切ると慎一に携帯を渡した 慎一は胸ポケットに携帯を納めた 「後少しで宮瀬建設に到着します」 榊原は康太に…その時を告げる 車から降りれば… 容赦のない戦地へと行かねばならぬ 甘くない現実がそこに在った 百戦錬磨の大人を相手に… 立ち回らなければならない どんなに不利になろうとも… 敵に背中は見せなどしない! 康太は姿勢を正しすと、頬をパンパンと叩いて、気合いを入れた 宮瀬建設の前に行くと… 黒塗りのリムジンが止まっていた 康太は車から降りると…黒塗りのリムジンへと駆け寄った 運転席から燕尾服を着た老人が降り、後部座席の扉を開けた 燕尾服を着た老人は、康太を見ると深々と頭を下げた 「佐伯!久し振りだな!」 「はい。康太様。お久しゅう御座います 旦那様、康太様に御座います」 佐伯は主に声をかけた 車の中に乗っていた蔵持善之助は、嬉しそうに顔を綻ばせ…康太を見た 「悪ぃな善之助。」 「いいえ。相手が悪過ぎる… 君の役に立って、私は嬉しい」 善之助は車から降りると、康太の前に立った 「再会を喜びたいですが…そんな事も言ってられませんね…」 善之助は目の前の康太を確認する様に、言葉を繋げた 「おう!後で幾らでも時間を作るかんな! 今は力を貸してくれ!」 「解っています!」 善之助は顔を引き締めると…ビルを見上げた 康太達が…アポイントなしで訪ねても、取り次ぎはしないだろう 門前払いが見えていたから…康太は蔵持善之助に協力を依頼した 経済団の会長を足蹴に出来ぬと承知の上で… 仕掛ける闘いだった 勝機を呼ぶように…康太もビルを見上げた 空を見上げ…両手を空に伸ばし… 康太は星を掴む 康太の回りに風が纏わり…髪を靡かせた 「勝機は俺の手の中にある! 誰も…邪魔など出来ねぇ…なぁ弥勒!」 『あぁ。お前の手の中に勝機はある 怯むでない。突き進んで行くが良い』 康太は弥勒の言葉を受け 唇の端を吊り上げた 「さぁ行くもんよー!」 社内へと、康太達は向かった 飛鳥井を潰そうとするなら… 容赦はしねぇ! 降りかかる火の粉は払う! それだけだ! 康太は風を切って歩く この先が…断崖絶壁だとしても オレは逝く 逃げ道は用意しねぇ… 決めた道をオレは逝く 覚悟を決めた…康太の背中に… 榊原や一生、慎一は着いて行った 共に… この命が…なくなろうとしても… 君と共に… その願いだけで… 共に逝く仲間がいた 宮瀬建設の中に入って行くと、受付嬢が… 緊張した面持ちで…待ち構えていた 顔は知っている… 経団連の会長の蔵持善之助 飛鳥井康太… 何故… 彼等が此処に…いるのか? 解らなかった 解っているのは… アポは…取ってはいない… と言う現実だけだった 受付嬢は姿勢を正し…その時を待った 蔵持善之助は受付嬢の前に行くと 「社長さんにお逢いしたいのですが!」 と、語気を強め…言い放った 「お…お待ちください」 受付嬢が…慌ててアポを取ろうとする 康太は挑発する様に嗤うと 「経団連の会長が訪ねて来たんだ このまま通っても文句はねぇよな?」 問い質した 「お待ち下さい」 「覚悟はあって待たせるのか?」 鷹揚に問うと 受付嬢は…言葉を失った 「このまま進む。 お前は黙ってろ!」 「ですが…」 康太は唇に人差し指をあて、シーっと、ウインクした 「良い子だから」 頬に…触れ懐柔する 受付嬢は…ポッと頬を染め頷いた 受付嬢が落ちるのを確認すると… 康太は社内へと堂々と入って行った 誰一人… 止める者は…いなかった 下手に止めたら… それ位…蔵持善之助の威名は響いていた 康太は何度も来てるかの様な足取りで、エレベーターのボタンを押すと 最上階まで進んだ 最上階へ行きエレベーターを降りると、迷路のような通路を通って 社長室とプレートが出ている部屋の前までやって来た 「此処だ!」 ニャッと嗤うとドアを開けた 室内では… まさか…乱入者など想定していなかった社長が… 秘書に手を出していた 秘書のスカートは…巻かれ上がり… 男の腰に巻き付けられていた 秘書は…康太の乱入を目撃すると 「キャァ~」と叫んだ 叫ぶと同時に…男が「ウッ…」と呻いた 康太は結合する二人の前に歩を進めると 「良い所を悪りぃな!」と秘書の顎を持ち上げた 「可愛い顔をしてるじゃねぁかよ…」 仰け反る秘書を…見詰める 流し目を受けて…秘書が艶めく 「あっ…あぁっ…」 康太の指が…秘書の唇をなぞる 淫猥に指を咥えさせ…口腔を犯す つっ…と指が…喉から…胸元に…這わすと 秘書は震え…体内の男を締め付けた そしてプルプル震え…イッた 体内の男も…刺激を受け…イッた 「終わったなら、支度をして、来客をもてなせよ!」 康太は揶揄して…男を見た 男の名前は 宮瀬 那智 宮瀬建設の社長だった 宮瀬は秘書の中から抜くと… 支度をして…康太に向き直った 「これは…無礼な訪問者もいらしたもんですね…」 嫌味を…述べて、牽制する 「そりゃあ…悪かったな!」 鼻で嗤って、意にも介さない 宮瀬は悔しそうに…目尻を顰めると… やっと、康太以外の訪問者に…瞳が止まった 「蔵持…会長…」 唖然と…蔵持を見る… まさか… 何故… 天才と称賛されたと頭脳の持ち主が… 蔵持の訪問に…少しだけ躊躇する 「宮瀬建設さん!先の会議以来ですな」 善之助は貫禄で宮瀬に声を掛けた 宮瀬は…なんとか自分を建て直した 秘書は、別室に駆け込み…処理をして服を正した そして、お茶を持って…社長室に向かうと テーブルの上に茶托を置いてお茶を出した 宮瀬は、ソファーに腰を下ろし足を組んだ 「ご用件をお伺い致しましょう!」 眼鏡をかけ直し、ネクタイを直し 何処から見てもインテリで、取り付く島のない、態度を見せた 出鼻を挫かれた… 奇襲攻撃と言う…卑怯なやり方で来るとは… 宮瀬は…許せない想いで一杯だった 受付は何をしていたんだ? 何故…突破して来れたのか? 宮瀬は…不思議でならなかった うちの会社の受付は、そんなに甘くはない筈だ アポなしを通す… 考えられなかった 「オレが来た用件は、お前が一番解ってんじゃねぇのかよ?」 康太の言葉に…宮瀬は肩を竦めた 「何の事でしょうか?」 宮瀬は惚けて…康太は無視して… 蔵持の方へと向き直った 「会長はどんなご用件で?」 蔵持善之助は宮瀬を見て…嗤った 「飛鳥井康太に仇成す者、蔵持善之助に仇成すと…想っておけ!」 一歩も引かぬ姿勢で善之助は告げた 「もう遅いですよ…蔵持会長 総ては…もう遅い…」 宮瀬は飛鳥井に仕向けた策は、既に回り始めてしまっている もう遅い…と高笑いした 康太はふんっと鼻を鳴らした 「遅いと思ってるのは、てめぇだけだ!」 「え?何を戯言を…」 「慎一、見せてやれ!」 慎一はプロジェクターフィルムを壁にはると、PCを取り出しスタンバイした 壁にPCの画面が投影される 康太は、その様子を見ながら 「遅せぇのは…てめぇの会社の方だろ?」と吐き捨てた プロジェクターフィルムには、NY証券取引の変動が映し出されていた 飛鳥井の株価が割れる筈だった そろそろ下落の一途となる筈だった なのに…株価は…下落所か…成長していた 「………え?…」 目を疑った 「これは何時のですか?」 「今、現在だろ?サマータイムは日本時間の午後4時から始まる時もある リアルタイムだ!」 そろそろ仕掛けると…外資系ファンドの取締役役員は言っていた 我が社の腕にかかれば飛鳥井など、赤子の手を捻るより簡単な事です 等と…言ってくれたではないか… 宮瀬は…唖然となる 「お礼はしねぇとな。 良く見ろよ、宮瀬! おめぇの所へ出資してるライオネスは下落の一途を辿ってんぜ!」 「え!………そんな筈など…」 宮瀬は自分のデスクに戻り、PCを叩き出した 自分の見ている画面と… プロジェクターフィルムに出されている映像が… 一緒の筈などない! 宮瀬は…必死になってキーボードを叩いた リアルタイムで画面が変わる… 数字の羅列が…変動する 宮瀬は…自分のPCに同じ映像を見つけると… 愕然となった 「宮瀬建設を補強していた会社は潰した!」 康太は…非情なまでに冷たい瞳で宮瀬を射抜いた 此処まで下落の一途を辿れば…建て直しは厳しい 康太の言う…潰した!と言う台詞は正しかった ライオネスの方も…自分の会社を建て直すのに厳しくて…支援など皆無になるであろう まさか…こんな痛いしっぺ返しが来ようとは… 想像もしていなかった… 「宮瀬、花菱は潰して来たぜ!」 さぁ、どうするよ? と、康太は挑発的に宮瀬に投げ掛けた 「会社に、こんな大きなネズミが引っ掛かったんだよ! 慎一、見せてやれ!」 慎一は、康太に言われ、画像を切り替えた 映し出されたのは… 飛鳥井のセキュリティに引っ掛かった二人 その中の一人は…宮瀬が送り込んだ…駒だった 宮瀬は…何も言わなかった 「顔見知りか?」 「さぁ…存じませんが…」 惚ける宮瀬に康太は嗤った 「知らねぇ顔じゃねぇんだけどな?」 「何の事か…と?」 「真野 千秋。おめぇの所の社員じゃねぇのかよ?」 「さて、一介の社員の顔など覚えてはおりません!」 「だってよ!真野!」 康太は呼び掛けた 画面の真野と呼ばれた人間が 『…当然の台詞ですね』と返した 繋がっていようとは… 宮瀬は…言葉をなくした 「この後、佐々木建設にも行くんだよ! 面倒くせぇからよぉ、此処に呼べよ!」 形勢逆転 明らかに…宮瀬は…情勢が不利だった 「佐々木…を、ですか?」 「おう!オレと善之助がいるのは内緒でな! 出来るよな?」 当然! と、康太が揺さぶりを掛ける 「佐々木も同罪。 宮瀬建設だけ制裁をしても良いけどよぉ!」 嫌なら呼べ そう言う事だった 「花菱は…本当に潰したのですか?」 「PCで確かめて見りゃあ良いじゃねぇかよ! お前の傀儡として機能するかどうか…をよぉ!」 康太はそう言い、ニャッと嗤った 宮瀬は…失礼…と述べるとPCへ向き直った キーボードを探り弾き出す そして傀儡と化した花菱へと繋ごうとするが…機能が遮断されてるのか… アクセスすら難しかった 「メインPCは潰したからな! 社員も帰し無人と化している! 弁護士が入り整理して、廃業となる」 事実上、花菱建設は無くなる事となる 「解りました。佐々木を呼びます」 どうせ…制裁を受けるなら… 自分の会社だけが受けるのは分が悪る過ぎる 相手を…甘く見た 嫌…飛鳥井康太を甘く見た その代償が… 会社の存続…ならば… 言うことを聞くしかあるまい 飛鳥井康太 その力を…軽んじた 子供だと…軽視した 所詮…子供相手だと… 外資の言葉に乗せられた 怖いものなど…何もない 誰もが自分にひれ伏す 会社の頂点に君臨し…怖いものなど何もなくなった だけど…今は… そんな自分の虚勢が…崩壊するのが解った 宮瀬はデスクの上の電話を持ち上げると、佐々木建設に電話を入れた 「宮瀬ですが、佐々木社長ですか?」 軽快な口調で宮瀬は話す まるで、その場には誰も存在してさえいない かの様に宮瀬は話し出した 「佐々木社長、会社に来て貰えませんか?」 『会社に…ですか?』 訝しんだように…佐々木は言葉にした 「花菱は手中に納めた。 前祝いをしましようではありませんか?」 前祝い 甘い言葉で誘い出す 『解りました。では今から向かいます。』 誘いに乗った佐々木に、宮瀬はニャッと笑った 「御待ちしております。」 電話を切ると 「此れよりおみえになるそうです。」 康太へ告げた 道ずれは…一人でも多い方が良い 宮瀬は…康太の座るソファーに腰を下ろした 「宮瀬 」 康太が呼ぶと、宮瀬は視線だけ康太へ向けた 「踊らされたか?」 「…………結果、踊らされたのでしょうね」 分析する 何時も…自分は分析して…結果を出してきた 今回は…敗北は見えていた 初めて味わう苦渋だった 挫折など…知らずに育った宮瀬の初めての敗北だった 「佐々木を上手く使っていると想っていたが、矢面に立てさせられただけの気もします」 「だろうな」 「佐々木は逃げ足は早そうです 用心も相当ですね…初めて知りました」 「あわよくば、最後は自分だけ生き残ってれば…とでも想ったんだろ?」 宮瀬は悔しそうに…唇を噛み締めた 「何故オレが佐々木じゃなく、おめぇの所へ来たか解るか?」 花菱を潰し… 次 行く所を…宮瀬建設を選んだか 宮瀬は降参したように、清々しく笑った 「解り兼ねます。」 「宮瀬、お前の屋台骨は…風前の灯だ お前の肩には…社員の生活が掛かってる 潰すも生かすも、おめぇ次第…って事だ!」 自分次第… 重い あまりにも重い… 言葉だった 潤沢な資金があり、挫折を知らない輝かしい未来を手に入れたと…勘違いしていた 「…どうか社員が路頭に迷わない様に… こんな頼みはお門違いと解っています ですが…お願いします 社員を頼めませんか?」 「嫌だ!」 即答され…宮瀬は、当たり前か… と、落胆した 「おめぇの会社の社員だろうが! おめぇが背負って行くしかねぇだろ!」 え…? 宮瀬は康太を見た 「話は、佐々木が来た後にな!」 宮瀬は頷いた 初めて見せる情けない顔に… 康太は苦笑した これが…素か エリート街道を走って来た男には挫折の言葉など一度もなかった 世間知らず 何も見ていなかった…無知な人間 世界の情勢は解るが、世間は知らない 株価は解るが、世間の情勢は無知 そして、会社の頂点に立つ… 重さを知らない 担ぎ上げられ、飾り物にされた お人形…と言っても…過言ではない 年の頃なら瑛太と変わりはなかった だが…確実に瑛太と違う 瑛太は置かれた己の立場を…知っている 弟の進むべき道も知っている 共に逝くと決意して…立ち聳える瑛太とは明らかに違う 「宮瀬、おめぇは飾られた人形だな」 痛い言葉を受け… 宮瀬は苦笑した 「…気付きませんでした」 「気付いたなら、始めれるじゃねぇかよ?」 「え?」 「自分の足元も見れねぇ奴は、頂点に立つな! 自分の背負うモノが解らねぇ奴は、頂点に立つ資格などない!」 宮瀬は…グッと詰まって 「ごもっとも…です。」と、返した 短時間で見せる、宮瀬の変化に善之助は流石康太だ…と感嘆する 敗北を認める 敗北を認めた人間は…先が見える 先が見えたなら…歩み始められる 今度は慎重に 今度は用心深く 背負うモノを気遣いながら 責任を全う出来る人間になる 暫くして、受付から佐々木の訪問を告げる電話が入った 『佐々木様がおみえになられました お通しして宜しいでしょうか?』 本来の受付の業務はこうでなくてはならない なのに…康太の訪問を告げる電話は入らなかった 「お通しして下さい!」 宮瀬が告げると電話は切れた 「佐々木社長が、おみえになります」 宮瀬は立ち上がり、出迎えの準備をした 暫くして社長室のドアが、コンコンと叩かれた 宮瀬はドアを開けて、佐々木を出迎えた 「佐々木社長、良くいらしてくれました!」 招き入れ…ロックをする 佐々木はロックの音に訝しみ、部屋を見た 部屋には… 飛鳥井康太 が、座っていた その横に… 蔵持善之助 自分は…わさわざ… 檻の中に入りに来たのだと… 事態を理解した 「佐々木蔵之介」 康太は佐々木の名前を呼んだ 「何か俳優みてぇな名前だな」 顔も俳優ばりに男前だった 狡賢い…男に似合った風貌に…康太は合いすぎだわ と、納得した 名を呼ばれて、佐々木は宮瀬を見た 「ボクを売ったのですか?」 佐々木が宮瀬に問い掛ける 「売るも何も…矢面に立たせて…傍観を決め込もうとしたのは…貴方でしょ?」 佐々木は悔しそうに…眉を顰めた 「何の事ですか?」 「花菱は廃業したそうです。 ライオネスは下落の一途を辿って…風前の灯なので、もう此方には構ってられないでしょうね…」 「なっ…!」 何故…そんなに事態が急変を!!!! 佐々木は唖然とした 「私も…覚悟を決めるしかない 道ずれは…一人でも多い方が良いですからね!」 覚悟の瞳で…佐々木を射抜く その瞳には…既に勝敗は着いた…と、告げていた 「そうですか…」 総ては…カタが着いたのですか… と、佐々木は呟いた 「で、私達は…?」 どう処されるのですか? 佐々木は…事態を飲み込むのも早かった 「飛鳥井康太を甘く見過ぎた結果… なんでしょうね…」 敗因はそれしかない まだ18そこそこの若造に… そんな力などないに等しい と、軽んじた 外資に踊らされ…あわよくば…の夢を見た 夢は…夢でしかない 佐々木はクスッと笑った それが、宮瀬の勘に触った 「何がおかしいのですか?」 「夢を見た…だけでしたね」 「……儚く脆い…夢でしたね」 「一時なれど…果ての夢を見れた」 「私は夢にする気は有りませんでしたけどね!」 「ボクも夢にする気はなかったですよ?」 佐々木は康太に向くと、一礼をした 「佐々木建設は、君に差し上げます」 敗者は潔く… 「寝言言ってやがるよ…」 康太は…美しき敗者となろうとしている佐々木に、呆れた視線を投げ掛けた 佐々木は…もしも…の時の為に… 揃えた書類を康太の前に出した 「悪賢いのによぉ…引き際だけは潔良いのな…」 何とも…まぁ… 困り果てた…考えのお坊ちゃんだと 康太はため息を着いた 「悪役のセオリーですよ!」 佐々木はクスッと笑った 「散り逝く花は…美しくなければならない… ってか? ふんっ!笑わせるな!」 「飛鳥井康太 君 自己紹介がまだでしたね 佐々木蔵之介に御座います!」 佐々木は今更ながらに…自己紹介した 「飛鳥井康太だ!」 「飛鳥井…康太君 さぁ粛正の時を…。」 「当たりめぇじゃねぇかよ! でなきゃこんな所まで出向くかよ!」 佐々木は静かに康太をみていた 宮瀬も…静かにその時を待っていた 「佐々木」 「はい。」 「お前が放った刺客は…本来来てはいけない人間だろ?」 「…………そうですね。」 「佐々木、どうするよ?」 「何を?」 「お前が放った刺客だよ」 「……君の好きに…」 「良いのかよ?オレが貰っても?」 「…!…はい!」 「戸浪じゃあるまいし…」 康太はため息を着いた 「あの刺客は…お前の弟だろ?」 「はい…」 「それを差し出すのか?」 「……お望みならば!」 「お望み…してねぇんだよ!オレは!」 康太は怒りを露に、佐々木を見た 「何故、弟を差し出した!」 「彼が…行くと言ったんですよ…」 苦悩に満ちた顔をしてなきゃ… 殴っていた やっと人間らしい顔をしてなきゃ… 張り倒していた 「で、刺客にしたのか?」 康太は、ふ~ん~と、気のない返事をした 「なら、アレを貰って…愛人にでもするかな」 康太の揶揄する瞳が、佐々木を貫く 榊原は微動だもせず、平然と佐々木を見ていた 「愛人…で、御座いますか?」 「おう!オレが愛するのはこの世で唯一人! それは揺らがないポジションなんだよ!」 だから…愛人にすると言うのか? 「オレにくれるんだろ? どんな使い方したって、勝手じゃねぇかよ!」 それもそうだ… だけど…愛するのはこの世で唯一人! と、公言する人間に… 佐々木は息を飲んだ 「………貴方の伴侶は…この世で…一人 でしたね…」 記者会見で…そう公言する…康太の映像をみた 「おう!俺の伴侶はこの世で唯一人 榊原伊織、他はいねぇ!」 康太は毅然と言い放った 「ボクの負けに御座います…」 「だろ?オレに勝つのは1000年早ぇんだよ!」 康太は笑い飛ばした 「ボクの弟を愛人に貶めたくはない…」 「愛人じゃなくても、好きそうな奴に売り飛ばして良いんだぜ!」 権利は貰った方にある! どんな使い道をしたって、貰った方の勝手だろ? 康太が佐々木を見る 「申し訳御座いません… 撤回させて下さい」 「嫌だ!」 深々と頭を下げて…康太に請う 「くれると言ったんだろ? なら、撤回は聞かねぇ!」 ですが…佐々木は絶望に瞳を染め…康太を見た 「てめぇは身勝手な奴だな!」 え?…佐々木の瞳が問う 「悪役に徹せねぇなら…悪ぶるんじゃねぇよ!」 ズバッと言い当てられて…佐々木は肩を落とした 「佐々木、あの刺客はオレが貰う! てめぇはくれると言った! 一度口から出た言葉は還らねぇんだよ!」 解らせてやる 自分の身勝手さを思い知らせてやる 「慎一、佐々木文弥に電話を入れろ」 慎一は携帯を取り出すと、電話をかけ始めた 警備室に電話を入れ、佐々木文弥に電話を変わらせ、康太に渡した 「佐々木文弥か?」 『はい。』 「聞いていたんだろ?」 『はい。』 「今日からお前はオレのものだ! 良いな?」 『はい。解りました。』 「なら、聡一郎に乗せて来て貰って、此処へ来い! 良いな!オレの所へ来い!」 『解りました。』 文弥はそう言うと警備員に電話を変わった 慎一は警備員に聡一郎に、佐々木文弥を連れて来るように伝えて電話を切った 「直ぐに会社を出て来るそうです」 「そうか。なら、話は来てからだな」 康太はそう言うと宮瀬に向き直った 「宮瀬!」 「はい。」 「総てのカードが出揃ったら、歯車は回り出す! お前も解る筈だ! 運命の歯車が音を立てて回り始めるのがよぉ!」 総てのカードが… 「宮瀬、お前の父を呼べ」 「え?…父を…ですか?」 「宮瀬 蓮司 お前の父を呼び出せ!」 康太の一歩も引かぬ強さに… 宮瀬は父へと連絡を入れた 来て下さい 頼んでも…来ないのは解っていた 「康太さん、君の名前を出しても…構いませんか?」 「構わねぇぜ!」 康太の了解を得て…宮瀬は父に康太の存在を明かした そして、直ぐに来い!と頼んだ 蓮司は…直ぐに会社に向かうと約束して電話を切った 康太は、少し温くなったお茶を飲んでいた 優雅に寛ぎながら…お茶を嗜んでいた そして榊原の目を見ると、少し屈め…と指で合図した 少し屈んだ榊原の耳に… 康太は囁くように… 何かを伝えた… すると、榊原は…目を見開き… 嬉しそうに…笑った どこから見ても…対の存在だった 絶対の存在だった 「一生、お前、トイレにでも行って来い!」 いきなりフラれて…一生は 「トイレかよ?」と、情けない声を出した 「おう!トイレに行きたくねぇか? トイレに行くと…」 康太が指でヒョイヒョイと耳を出せと合図した 一生は耳を差し出すと ヒソヒソ… ゴニョゴニョ… かくかく…しかじか… 何やら康太は一生に告げた 耳を離すと…一生は立ち上がった 「何かトイレに行きたくなった! やっぱ粛清の前にはトイレだよな!」 と、わざとらしく…トイレへと向かった 宮瀬と佐々木は意味が解らず?????な感じで… 一生を見送った 暫くして、社長室の部屋がノックされた 「 どうぞ。」と宮瀬が言うと、トイレから戻って来た一生が顔を出した 一生は康太を見ると、ニカッと笑った 「捕獲成功だぜ!」 一生はそう言うと後ろに立つ人間の腕を引っ張って前に出した 無愛想な顔で前に出されたのは 宮瀬蓮司…その人だった 「酷いよ真贋…まさか一生君を差し向けるなんて…」 蓮司が愚痴る 宮瀬は父親と康太とが知り合いだと… この時始めて知った 「おめぇはよぉ、逃げるだろ? 会社まで来ても、やはり来るべきではないな…なんて理由を付けて逃げるからよぉ!」 康太は一笑すると、真摯な顔になった 「蓮司、久し振りだな!」 蓮司は康太に敢えて挨拶されて、康太の前まで行き、頭を下げた 「お久しぶりです真贋」 「さてと、一生。 廊下を歩いてる聡一郎も招き入れてくれ」 一生はドアを開けると、廊下に顔を出し辺りを伺った 廊下を警備員に連れられ聡一郎が佐々木文弥を連れて歩いてくる所だった 一生は廊下に出ると 「聡一郎、お疲れ!」 片手を上げ、声をかけた 「一生。」 一生を見付けて聡一郎は笑顔になった 気を許した顔を見て文弥は…驚いた 飛鳥井から連れ出され、車に乗り此処まで来た その間…冷淡な顔は能面の如く…冷酷に貼り付けられていた…崩れる事はなかった まるで…マネキンか人形の様に…人間味がない そんな感じだったのに… 一生は聡一郎と文弥を社長室に迎え入れると、文弥を佐々木の横に座らせた 聡一郎と共に康太の座るソファーに腰を下ろした 「さてと、駒は揃ったな 始めるとするか…粛正の時…をよぉ!」 康太の瞳は容赦のない焔を燃やし輝いていた 「善之助、見届けてくれ!」 康太が善之助に介助を申し出る 「承知した!」 善之助は康太を射抜き、頷いた 「なら、始めるもんよー!」 足を組み、肘置きに置いた腕を前で組み 王者の威厳で粛正の時を告げる 社長室にいた全員は…固唾を飲み込み その時を待った 「まずは、蓮司。 てめぇに物申さねばならねぇみたいだ!」 名指しで呼ばれ、蓮司は姿勢を正した 「総て受け止める所存です!」 覚悟を告げる 飛鳥井家 真贋 飛鳥井康太と言う人間を知っている この場に呼ばれたと言う事は… 生半可な事ではないのは…解っていた わざわざ一生を使って…連れて来させる念の入れようだ… 「総ては宮瀬蓮司、てめぇが撒いた種だ」 「そうですか…倅は…何かを仕出かしましたか?」 「てめぇは何も教育しねぇで椅子を譲り渡した! 机上の空論で会社が回せるなら…社長なんざ要らねぇんだよ!」 「若輩者に御座います…ですが誰よりも優秀な…逸材に御座いました」 「どんなに逸材でもな、毎日磨いて教え込まねぇとな…ただの石っころより劣るんだよ!」 康太は立ち上がり、蓮司の前に立った 「このお坊っちゃまは庶民の暮らしを知らねぇ…社員の言葉を聞かねぇ 自分の力に過信をする人間は… 先がねぇんだよ! 何で教えなかった!」 「……人の上に立つ… その重さは…自分で推し量るしかないのです 我が教えて…解るものではない そう思い…社長の椅子を譲り渡した この場に真贋がおられる…と言う事は… その重さが解ってはなかったと言う事ですね…」 「そう言う事だわな。」 康太は言い捨てると椅子に戻り足を組んだ 「蓮司!」 「はい。」 「てめぇの祖父から続いた会社を畳むか?」 康太はさらっと言い捨てた その言葉を受け…蓮司はグッと詰まった 「それは…嫌に御座います」 「飛鳥井に刄を向ければ…オレは容赦しねぇぜ!」 「………解っております」 「降りかかる火の粉は祓う 何としてでもな!」 康太はそう言い…嗤った 冷ややかな冷徹な笑みを張り付け、蓮司を射抜いた 「ならば!この命を賭してでも…食い止める所存です!」 「ほほう…その命賭してでも…かよ?」 「はい。」 「てめぇの夢は…諦めるのかよ?」 康太の問いかけに…宮瀬は…夢?と呟いた 父親の夢? そんなの知らない 父親に夢なんてあったのが驚きだった そう言えば…父親とそんな話なんてして来なかった 自分は…何を見てきたのか… 宮瀬は感嘆した 「夢は…命があれば…再び見れます」 「ならば!ケツは拭け!」 「はい。」 蓮司は深々と頭を下げた 「待って下さい!」 宮瀬那智が立ち上がった 康太は蓮司から瞳を離す事なく 「あんだよ?」と宮瀬に問うた 「父親の夢…とは? 恥ずかしながら…私は知りません」 康太に頭を下げて…宮瀬は教えて下さい…と頼んだ 「宮瀬」 「はい。」 「蓮司はな、サラブレッドを創る調教師になりたかったんだよ」 「調教師…ですか?」 「この年で調教師になるのは難しい ならば…馬に携わる仕事がしてぇ…と飛鳥井に来たんだ」 「飛鳥井に…ですか?」 何故…父親が…飛鳥井を頼ったのか… それすらも…宮瀬には想像が付かなかった それを知ってか知らずか…康太は言葉を繋ぐ 「蓮司は我が父、飛鳥井清隆の学友だ 父は友の夢の後押しをしてやる為にオレに預けた 勇退した後、白馬の厩舎に身を寄せて…馬の世話をしている」 始めて聞く事ばかりで…宮瀬は… 唖然と父を見た 「白馬…ですか…」 「おう!白馬で馬の世話をしている そこにいる緑川一生と共にサラブレッドを育成している」 だから…父は…部屋に入って来た時に… 一生くん…と名で読んだのか… 納得する でも納得した後に… なら何故? 白馬にいるのではないのか? と漠然と…疑問に想う そんな宮瀬の胸の内を知ってか 康太は説明を始めた 「白馬からは呼べねぇけどな、丁度タイミング良く、来週から始まるレースに向け、この近くのバドックにいたからな、呼び寄せた」 総ては…決められし理なのだと…言われているかの様にパズルが嵌め込まれる 父親の夢など…興味もなかった ………そう言えば… 父と…まともに話したのは… 何時の事か… 宮瀬は…毅然と姿勢を正して座る父を見ていた 「蓮司。」 「はい。」 「社長に復帰しろ! それが宮瀬建設を残す、条件だ!」 蓮司は…深々と頭を下げた 「解りました。 それしか道がないのなら…只今、この時から、社長に復帰致します。」 顔を上げ、企業家としての顔になる 「宮瀬那智の処分は?」 冷徹な企業家としての顔に…情などなかった 「その原石を石っころにするも、ダイヤモンドにするも、てめぇの手腕にかかってる! 出来るか? 殴っても目を醒まさせ、磨けるのかよ?」 「最初にその努力を惜しんだ…我の失態 ツケが後から回って来ただけの事」 「解ってんじゃんか! 蓮司、伝令を流せ! 宮瀬建設の社長はたった今、宮瀬蓮司に変わったと!」 「はい。解りました!」 蓮司は立ち上がると、息子を押し退け 社長の椅子に座り、伝令を流させた! 宮瀬は…社長に戻った父の顔付きに… 越えられない…壁を見た 自分はまだまだ未熟者で…父には叶わぬ 現実を知った 「父さん…」 宮瀬の呼び掛けに…蓮司は厳しい顔で見やった 「お前は役職なしの、我の補佐になれ これよりお前は…我と共に過ごせ」 「貴方の夢は…」 「お前次第…だな」 蓮司は苦笑した 「我の夢の時間を作るも作らぬも… お前次第だ…那智」 「父さん…」 「若造は…叩かれて鋼になる 真贋のお言葉だ!心して遺せ!」 宮瀬は康太に深々と頭を下げた 「宮瀬、おめぇは父親の元で出直しの勉強をするしかねぇ」 「はい。」 「無知は罪なり! 知らぬは愚かなり! 見ぬはこの世の恥になり! 人の上に立つ人間は人を知れ! そうすれば自ずと重さが解ってくる!」 「はい。」 己の愚かさを知る 踊らされ…懐柔され…日本の頂点に立てと…泡沫の夢を見た 地に足を着けていなかったから… あっという間に崩れ去った これが礎が確りしていない…と言う事だと思い知る 自分の浅はかさを恥じる 「蓮司、一生の牧場がトナミ海運の倉庫後に出来るんだぜ! 大和の奥の広大な土地に、一生の牧場が出来る。」 トナミ海運の倉庫なら知っている 莫大な土地に大量の荷物を一手に担っていた関東一円を支える物流の根拠地 そこに…一生の牧場が…? 始めて聞く事だった 「一生はもう白馬には行かねぇ 暇を作って、馬を見に行け」 「………!…真贋…」 「強く打って鋼のごとく鍛練を重ねれば 同じ過ちは二度と繰り返さねぇ上に立つ人間になれるさ! そのうち三木や瑛兄にでも逢わせるかな おめぇの回りには蜜を吸う愚か者しかいねぇ… 友と呼べる人間を作れ!」 言われてみれば… 友など…一人もいなかった 友など不要 人に集るハイエナの様な奴しか…集まらなかった 「オレは善之助と生涯の友の契りを交わしたぜ! 友は窮地に駆け付けてくれる絶対の存在であらねばならぬ! オレは善之助のピンチにはこの命、擲ってでも駆け付けるぜ! 友とはそう言う存在だ… おめぇには…それがいねぇ!」 「はい。私には…そんな存在となる友はおりません…」 「なら、これから探せば良いじゃねぇかよ! 善之助がオレと出逢ったのは30は越えていたぜ!」 康太の言葉に善之助は懐かしそうに微笑み 「そうでした。私には誰もいなかった 君と知り合い、友になり、多くの出逢いと想い出を貰った 君との出会いは大きい 君と出逢っていなければ…私は何も知らない暴君のままだった」 年が離れているのに… 友と言う 友の為なら…その身を擲ってでも駆け付ける 二人の間には確かに、友情が存在していた 宮瀬は、それを羨ましそうに見つめ 「私にも出来るでしょうか?」と問い掛けた 「お前が変われば、自ずと道は開かれる 道が開かれれば、そこに人は集まってくる そしたらお前が友となる人間を選べば良い そいつの為なら、命を差し出しても良いか 命を懸けて付き合いたい奴なら友になれ それだけだ!難しい事なんてなんもねぇよ!」 康太はそう言い笑った 「宮瀬。」 「はい。」 「オレには友がいる。この場にいてくれる奴以外にもな、沢山いる そして共に逝く仲間がいる! だからオレは命を懸けて歩き出す その歩みは支えてくれる奴のために有る お前もそうして生きて逝け」 宮瀬は…顔を覆って…嗚咽を漏らした 知らない… 自分の知らない世界を見せ付けられて なんと…自分は… 愚かで…淋しい生き方しか出来なかったのか… 友を探したいと想った 友が欲しいと…想った それにはやはり力を持とう…と心に決めた もう迷わない 道は見えた 「康太くん…飛鳥井康太くん」 宮瀬は康太の名前を呼んだ 「あんだよ?」 「君を心の師匠とお呼びして宜しいですか?」 「師匠…オレは弟子は取ってねぇ でも、そう想うならおめぇの勝手だ 好きにすれば良い」 潰しに来た相手に… 言える言葉ではない 康太の懐の広さに…宮瀬は感銘を受けた 「では勝手に…師匠と想わせて下さい」 「蓮司、台詞が親子で一緒か?」 康太は笑った 清隆に連れられてやって来た蓮司が、康太の懐の広さに感銘を受けて… 貴方を心の師匠とお呼びして宜しいですか? と、言われたのだ 親子して台詞が全く一緒で笑える 「真贋、親子ゆえ…似るのです」 「お前が贔屓にしてる俳優、榊 清四郎にも 前に心の師匠とお呼びして宜しいですか?と言われた事があるな 今もオレは清四郎さんの心の師匠の様だぜ」 好きな俳優まで、同じ台詞を吐いていようとは…蓮司はお手上げをした 「ご容赦を。」 「別に責めちゃいねぇ! 心の師匠と呼ばれるからには…オレも見ぬふりは出来ねぇからな!」 「手遅れになる前に我を配置して下さった 真贋の心配りは忘れは致しません」 「なら、安心だ!」 康太はそう言い佐々木に向き直った 「佐々木、待たせたな!」 佐々木蔵之介と文弥に向き直り、康太は言葉を放つ 「佐々木文弥。 兄に良かれと志願したか?」 連れて来られたが…敗北の自分には用などない筈だ…と文弥は…想っていた 「兄の役に立つ事しか出来ぬ存在ですので!」 まるで昔の聡一郎がそこにいる錯覚に見舞われる 自分の存在を否定して 自ら駒である事を選ぶ 「兄が死ねと言ったら…死ぬのかよ?」 答えは解っていた 解っていて…敢えて聞く 聡一郎は答えが解るから…胸を押さえた 「はい。俺はそれだけの存在ですから!」 死ねるなら…喜んで死ぬ それしか出来ぬ存在なのだから… 聡一郎は立ち上がり…文弥を殴った 泣きながら…涙を流し… 文弥を殴り付けた 「死に逝く為に生きるなら…その命オレに寄越せ!」 聡一郎はそう叫んだ 文弥は…頬を殴られ… 唖然として聡一郎を見た 「その台詞は…僕が康太に言われた言葉です 死に逝く為にしか生きられなかった… 僕に…康太が言ってくれた…言葉です! ならば、僕は君に、その言葉を投げ掛けます」 聡一郎はそう言い文弥に手を差し出した 「死に逝く為に生きるなら… その命…僕に下さい。」 「聡一郎…さん」 「君の命を貰ったなら…僕には責任が出来る 君を生かさねばならない… そして君は僕に命をくれた以上… 勝手に死ぬ事は許さない!」 聡一郎はそう言い文弥に 「君が決めなさい! 僕に命を預けるなら手を取りなさい!」 選択を迫った 文弥は聡一郎の手を取った 自分の為に…その手を真っ赤にして殴ってくれる人間は少ない その綺麗な手は…人を殴るには相応しくない その手を真っ赤にして…聡一郎は殴った 殴った手より…心を痛めているのは… 泣きそうな顔で解った 痛そうに顔を歪め…必死に手を差し出す… 聡一郎の手を…躊躇する事なく…取った 「佐々木、文弥は貰う。良いな。」 「…………弟が選んだのでしたら… でも………………愛人は…」 そう言い…言葉を飲み込んだ あの時、どうぞ。と言ったのは自分だ 「愛人にする訳ねぇだろ? 聡一郎には恋人がいる! それこそ愛人なんて作ったら…それはそれで面白れぇかも知れねぇけどよぉ」 康太は笑った 慌てて聡一郎に泣きつく悠太の姿が脳裏に浮かぶ 「康太!」 榊原が康太の考えに釘を刺す 「解ってんよ!」 康太は頭を切り替え 「文弥は飛鳥井に住まわせ力哉に仕事でも教え込ませる。 愛人にはしねぇからな安心しろよ!」 佐々木の苦悩に満ちた顔には… 兄弟を想う…情があった なければ…この場所には連れて越させはしない… 「文弥、お前は兄をどう想っていたか知らねぇけどよぉ 兄はおめぇを、想って苦悩してんぜ! 兄弟だからするんだろ?違うのかよ?」 文弥は兄を見た 飄々と人を食った様に掴み所のない人間の仮面など外されて… 多分…これが兄の素なのだろう… 文弥が初めて目にする兄蔵之介の姿だった 信じられない… でも…本当の真実が…そこに在った 「文弥…」 蔵之介が…弟の名を呼ぶ 文弥は…そんな信じられない想いで兄を見ていた 佐々木の家では…家督を継ぐ兄ばかり優先され 弟の自分は…兄の付録… いや…付録以下の存在にしか扱われなかった 兄の役に立て 毎日がそう教え込まれて…過ごした 毎日 毎日 兄にひれ伏し…生活させられた 兄弟として遊んだ記憶もなければ… 兄も話す… そんな気軽に出来る事ではなかった その兄が… 弟の名を呼んだ 文弥は…信じられない瞳で… 兄を見ていた 飛鳥井に入り込む…スパイが欲しい そんな話を聞いた時 相応しいのは自分以外はいない そう想い名乗りを上げた 切り捨てられても… たいして困らない…存在 それが自分だから… 兄は…確実にしくじったら切るだろう 不要になったら切るだろう 間者は使い捨ての駒 『ボクはお前を切ります』 宣言されて… 了承して…間者になった 納得ずくの事だった なのに… 何故… 兄はそんな顔を… 「…飛鳥井康太くん…」 佐々木は康太の名を呼んだ 「あんだよ?」 「弟です。彼はボクの血を分けた弟です。 ボクにだって…血も涙もある 弟を…好き好んで差し出すと想われたくない 年が離れて…あまり話したことも… 一緒に過ごした時間も…少ないけれど 文弥は… ボクの弟です」 「だから?」 「飛鳥井に差し向けたのはボクです 他の誰かではなく…ボクです 文弥を、飛鳥井に差し向けた 文弥に罪はない…悪いのは総てボクなのですから…」 だから…同罪に想わないで下さい 佐々木は苦しげに…言葉にした 言葉を振り絞って… 弟へ… 言葉を残す 「文弥を…貰い受けるのなら… それだけは…解って下さい」 佐々木はそう言い… 深々と頭を下げた 弟と… 今生の別離になるかの様な… 別れの挨拶だった 康太はため息をついた

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