2 / 3

第2話

それから数日、なゆぎは家の様子を教えてもらったりしながらゆっくりと過ごした。 なゆぎの部屋には服や本など、必要な物がちゃんと整えてあった。自室から縁側越しに見える庭はいつも静かで美しく、昼と夜とでその姿を変え、いくら眺めていても飽きなかった。 大きな家なので幽玄や聖がどこにいるのかよくわからないこともあったが、食事の時には顔を合わせるのでその折色々話をした。預けられた先で見たもの、手伝わされて覚えた仕事の事など……なゆぎは大して面白い話題は知らなかったのだが、2人はいつも楽しそうに聞いてくれて――こんな風に甘やかしてもらえるのは初めてで――なゆぎはそれがとても嬉しくて、一生懸命、夢中で話した。 幽玄は忙しいらしくたまに食事の席にいないこともあったが、聖は必ずなゆぎと一緒に食事を取るようにしてくれていて、なゆぎが話すことにはどんなに些細な内容でもいつでも感心したように相槌を打ち、真剣に聞いてくれた。 なゆぎははじめて自分の存在をちゃんと見てくれる人に出会ったのだと感じ――なゆぎをこれほど尊重してくれる相手は今まで誰もいなかった――こんなに優しい人たちが、自分の家族になってくれたのかと思うととても幸せで、夢の中にいるようだった。 庵はなゆぎの部屋から見える庭を掃除していたり、足りない物がないかちょこちょこ尋ねにきてくれたりする。なゆぎはすっかり彼にも慣れて、掃除する庵にくっついて庭をあちこち歩いたりした。 この家の庭は広い。結構歩いてようやく塀にたどりつくといった感じで、塀はこの家の外壁のように漆喰で塗られ、瓦が乗せられている。その塀はなゆぎの頭よりかなり高く、外界とここを仕切るようにそびえ立ち、塀の向こうがどうなっているのか内側からはまるで見えなかった。 ――そうして色んな事柄に慣れたが、なゆぎはまだ少し恥ずかしくて――どうしても、お父さん、お兄さんと口に出しては呼べなかった。幽玄たちはまるでそんなことを気にかける風はなかったが、なゆぎは本当は……早くそう呼んでみたかった。呼べたら――どんな気持ちになるんだろう。本当の家族ができたみたいに、きっと素敵な、満たされた気持ちになるに違いない―― その日、今日こそ機会があったら呼んでみよう、と決心していたのだけど、食事の間もなかなかチャンスが訪れず、今までと同じに夜になってしまった。寝支度を整え――この家にはパジャマがなくてやわらかい白い着物が与えられていた――なゆぎが布団の上にぼうっと座りこんで開け放たれた障子からいつものように美しい庭と月を眺めていると、庵が呼びに来た。 聖が来てくれと言ってるという。はいと返事をしてすぐなゆぎは聖の部屋に向った。 自室にいた聖――ここも畳敷きの広い座敷で、彼もなゆぎと同じように白い着物を身に着けていた――彼はかしこまった様子で夜具の横にきちんと正座している。電燈はつけられておらず、彼の姿は窓からさし込む月明かりに照らされ、整えられたこの家の庭のように、端然と、美しかった。 庵に優しくうながされ、なゆぎが聖の向かいに正座すると、聖は静かな声で話し出した。 この家は山に御座(おわ)す様々な神様の持ち物で、彼と父は代々その神々に仕える仕事をしている。そうして中でも、一番お力の強い大神である女神さまはたいへんに気難しく、この家には女性を入れることができない。そして理由はわからないのだが、場合によっては男性でも拒絶されてしまうことがある。そういう時は天候が恐ろしく荒れたりなど不可思議な事が起こるらしいが、なゆぎがここに来て十日経っても何事もない。これはこの山の神々、殊に大神さまに正式に受け入れられたと言う証なのだ――聖はそう語った。 なゆぎが聖の話をあまり良く理解できなくて考えていると、向かいに座っていた聖がふいに腰を浮かせ、膝の上に揃えていたなゆぎの手をとった。あっと思う間もなくなゆぎの身体は聖の胸に引き寄せられ、唇を重ねられた。 驚いたなゆぎはつい、聖を両手で強く突きのけてしまった――その時なゆぎの口の中に微かに血の味がした。噛んだつもりはなかったのだが、歯で傷をつけてしまったらしい――聖の唇から血が出ている。それを拭おうともせず、聖はじっとなゆぎを見つめていた。なゆぎは動揺して混乱し、後じさると、聖の部屋を飛び出した。 廊下を走って庭へ続くガラス戸を引き開け、裸足のまま外に飛び降りて、足に絡みつく着物の裾を後ろへ蹴るようにしながら夢中で山門がある方向へ走った。が……途中で庵に立ち塞がられた。 庵は見た目からは想像できないくらいの力があり、なゆぎの両腕を捕まえるとそのまま抱きかかえるようにして家までなゆぎを連れ帰った。嫌がって暴れるなゆぎをそのままどんどん家の中に運んで行く――なゆぎはこの家の、こんな奥までは来たことがなかった――廊下がずっと続き、ふすまや障子をいくつも開けて通り越し、自分の部屋からどのくらい離れているのかわからないくらい奥に連れて来られた。 次いで襖が開けられた先を見てなゆぎはぎょっとした。蔵によくあるような(かんぬき)のかかった厚い扉がある。閉じ込めるんだ――身をこわばらせてなゆぎは青褪め、そう思った。 恐ろしくて必死に抵抗したが庵の力にはかなわず、扉が開けられてなゆぎは中へ連れ込まれた。 その部屋は奥が半分座敷牢になっていて、庵はその頑丈そうな太い格子の中になゆぎを押し込んだ。 牢の格子扉が閉められる。 そうして庵は、押し込まれたとき尻餅をついた格好になってしまい、そのまま、まだ呆然と動けずにいるなゆぎをちらりと振り返って……悲しそうな顔だった……外へ出て行き閂のある牢の扉を……閉めた。

ともだちにシェアしよう!