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結婚飛行2
無冠の間にジャスマンが金色の花を飾っていた。
どこからともなくやってくるあの巨人は、周辺国家も巡業しているに違いない。
ローゼンが言うとおり、日差しは日に日に暖かくなっているように感じた。ジャスマンの咆吼も一日に何度も聞くようになった。
婚礼の日がいよいよ近い。
「ダリ……」
ローゼンの部屋のベットメイクをしていると、部屋主が戻ってきた。
あまりに神妙な面持ちで扉の傍に立っているので、俺はどう声を掛けたらいいか解らなくなった。
「どうした?女王様に発破を掛けられたのか?」
以前言っていたとおり、ローゼンは女王様の呼び出しを受けてこっそりと城に向かった。誰にも見つからない地下の通路を通ってここまで戻ってきた筈だ。
ローゼンは唇を震わせながら次第に涙を零し、駆け出して俺の胸に飛び込んできた。
「ダリ、婚礼の日が来たら、さようならをしないといけない」
「……は?」
唐突に言われても理解ができない。泣き始めるローゼンをあやしながら、俺は一つ一つ言葉を拾っていった。
「婚礼の儀を終えたら、私はこの国を出なければならない。
東の城郭の向こうにお爺さまの住んでいた国があって、そこに孤城があるから、其処で子を産んで励むようにと……、新しい女王は、アルファの子種を全て飲み干し、新しい国まで飛んでいくのだって。私の羽はそのために生えているんだって、この国の一切を切り捨てて、新しい国を築きなさいと……」
「ちょ、ちょっと待てよ。じゃぁ、俺はアルファの奴らにお前を明け渡すってことか?お前はあの無冠の間で交尾した後に、東の国に連れて行かれるってことなのかよ? 俺はお前を失って一生を終えろってことなのか??」
「私だって耐えられない……っ 婚礼の後にこの国に残れると、……ダリの元に戻ってこれると思っていたから、誰に犯されても我慢をしようと必死に言い聞かせていたのに、離れなければいけないなんて絶対に嫌だ……」
泣き崩れるローゼンの身体を掻き抱きながら、俺は湧き上がる苛立ちを隠せずにいた。
冗談じゃ無い。俺の一生を捧げてきたローゼンを手放すなんて考えられない。
俺たちの国には王様がいない。女王が一人で統治している姿を観てきてしまったから、ローゼンを嫁として奪われる発想が生まれなかった。
「ダリ、助けて。もうすぐ婚礼が始まってしまう……」
ゴオオオン、と地響きがする。ローゼンの涙混じりの懇願をかき消すような轟音だった。
窓を開けると、ジャスマンが咆吼している。そして眩しいほどの日光が空から降り注いで、甘い蜜の風が吹き抜けた。
まるで空の蓋が開いたような、これまでとは全く違う暖かい空気が流れ込んでくる。国民たちが大門に集まり始めていた。
「あ、……っ」
金色の花びらが窓から入ってくる。まるでローゼンを迎えにきたように。
薄桃色に染まったローゼンの身体は蕩けた花蜜のように甘い匂いを発して、背中の羽がぱさりと開いた。
「行かなくちゃ……っ」
「ローゼン……!おい、しっかりしろよ、話はまだ……」
ベランダから今にも飛び立とうとするローゼンを無理矢理引き寄せ、肩を揺すった。酩酊状態が始まっているローゼンは意識を繋ぎ止める為に必死に唇を噛んでいる。
空を見上げると、シスタのアルファたちが一斉に飛び立っていた。背中の羽をここぞとばかりに羽ばたかせ、他国に向かって飛び立っていく。他国のオメガと交尾する為だというのに、容姿端麗なアルファの男たちはまるで天使のように美しかった。
向かう者がいれば、訪れる者もいる。遠い空の向こうからこちらに向かってくる男たちの群れが見えた。遠くからでも彼らの甘い香りが鼻孔を掠めて、ベータの俺ですら宛てられそうになる。
やがて腕の中のローゼンが、ばさりと羽ばたいた。もう腹を決めるしかなかった。
「ローゼン、一緒に逃げよう!東の国に行って、2人で暮らすんだ!!」
俺はローゼンの身体を抱えて起ち上がろうとした。けれどローゼンはすでに腰が立たなくなっていて、うまくバランスが取れなかった。
「ダリ……っ、でも、私には使命が……」
「そんなものクソくらえだろうが!!こんな終わり方、絶対にごめんだ!」
ローゼンがボロボロと涙を零しながらしがみついてくる。
発情が酷いのか、悲しいのか、どちらの意味で泣いているのか解らないが、俺を離すまいとしていることだけは伝わって、無我夢中でベランダからローゼンを引き込んだ。
けれど甘い匂いが呼び寄せるのか、ベランダの窓を蹴破られる音がした。
「シスタのオメガは、なぜ無冠の間にいないのだ?」
ベランダに降り立ったのは紅い髪を持つ大柄のアルファで、傲慢不遜な態度で俺を睨みつけていた。
「シスタのオメガは蜂蜜みたいな金色だって噂は本当だねぇ?隣の子はベータか?過保護すぎるんじゃないの?」
次々とアルファの男たちがベランダにやってくる。あっと言う間に俺たちは引き倒され、ローゼンは紅髪のアルファに引き上げられてしまった。
「ダリ……っ 東の国で、待っていて…っ!私を許してくれるなら、どうかその国で……っ!」
「ローゼン!」
叫びも空しく、ローゼンは無冠の間に連れ去られていく。ベランダから飛び立つ男たちを掴まえることもできず、俺は1人で塔に取り残された。
冗談じゃ無い!
俺は痛む身体をどうにか持ち上げ、塔を降りていく。
羽は持っていないが身体能力には自信がある。城郭を上ればローゼンを救えるかもしれない。
奪われてたまるものか、ローゼンが愛しているのは俺だ。
種の使命だとかそんなものは関係ない! 始めから奪ってやれば良かった、決められたレールなんて無視をして。
東の国で今まで通り、2人で幸せに暮らすんだ。
**
切羽詰まっているにも関わらず、俺は足を止める羽目になった。
塔を降りたすぐ横のパティオに見覚えのある姿があったからだ。
女王だ。
自室から滅多に出ることが無いこの男が、わざわざパティオに出向いて空を見上げていた。
「ダリ、今日までよくローゼンを育ててくれた、感謝する」
その声を聞いてしまうと、俺たち末端は動くことさえ許されない。今すぐにでもローゼンのいる無冠の間に向かいたいのに、身体が凍り付いたように動かなかった。
「さきほど、ローゼンと話をした。彼は泣いていた。ダリと共にいたいと我に懇願し、縋った。主がよほど愛を込めて育てた証であろう。切り離すのは心が痛むな」
「そこまで理解されていて、なぜ俺からローゼンを切り離すんですか!!」
身体は緊張のあまり震えていたが、口先だけは達者だ。虚勢を張って問い質すと、女王の視線に射貫かれた。
「それが種の性だ。女王は1人で生きていかねばならぬ。それが最善なのだ」
「……っ」
女王に睨み付けられると言葉を紡げない。絶対服従が原則である俺たちの種としての掟は、血肉となって備え付けられている。
けれどもう、とっくに俺は、やけを起こしている。ここまできたら、何もかもやけくそだった。
「ローゼンの精神はまだ子供です!あの数のアルファを前にして、選別する手段も持ち合わせていないんです!仮に1人の王を選んだとしても、東の孤城で夫婦としてやっていける度量もない子です!ローゼンにはまだ、俺が必要です!!それに俺と2人で生きていくことを望んでいます!」
女王の視線が大門の頂上に再び向けられる。たくさんの金色の花で彩られた無冠の間は小さな神殿のような造りをしている。順番を待つように柱に寄りかかるアルファの男たちが何人も控えているのが見えた。時折物陰から揺さぶられる足が見えるのは、考えたくないがローゼンのものでしかない。
「ダリ、お前は勘違いをしている。なぜ、大門の頂上を無冠の間と呼ぶか知らないのか?」
「……え?」
女王の言わんとしていることが解らない。名前の由来なんて気にもしたことがない。
「一国のオメガが他国のアルファと交わうアレは建国の儀式だ。何しろ、国中の男は血縁で、近親相姦をする訳にはいかない。オメガはああして他国のアルファの子種を搾り取り、大量の子種を抱えたまま新しい土地に行って国を作るのだ。子供を生んで配下に置き、私のように女王として君臨し続ける」
「ちょっと待って下さい。女王、俺とローゼンが兄弟なのは知っています。が、国中の男が血縁ってどういうことですか……」
「そういう種ということだ。自分に性欲が無いことを疑問に思ったことはないのか?愛しい者を前にして紳士に振る舞えるのは些か不思議ではないか」
見透かされたような言葉に寒気がした。
そういえばローゼン以外の男を愛したことはない。ローゼンが近くにいなければ身体が性的な反応をしたことは一度たりとも無い。
「我らは基本、ベータを役割ごとに産むのだ。お前は働く者、世話をするベータとして。ローゼンは私の後継者としてオメガに。アルファたちは婚礼の日に逢わせて産んだ者たちだ。奴らの役割はオメガを孕ませることで、それが済めば存在意味は無い」
「……存在意味がない?」
「つまり、孕ませたら死ぬということだ」
驚愕して声が出なかった。
見上げる無冠の間には、すでに倒れている者が見える。仰向けに倒れている男にまたがったローゼンが、淫らに腰を振っていた。
「女王を孕ませて王になるものは永遠に現れないし、女王は建国の為に国を出て行く。あの間が”無冠”と呼ばれるのは、冠を掛けるはずの者が残らないからだ」
俺はローゼンから目が離せなかった。泣きながら嫌がってるように見えるのに、淫らに腰を振っている。他のアルファに掴まれて死体になったアルファの雄を引きずり出された後、すぐに別の個体を挿入されていた。次々に群がる男たちは隣に死体が転がっていても目に入らないのかもしれない。欲望に濡れた一群を傍観していると、血の気が引いていった。
「ローゼン……」
気づいたら涙が出ていた。大事なものを奪われた気分だった。
けれど誰によってローゼンを奪われたのか解らない。アルファの男たちはローゼンを汚した傍から死んでいく。
毎晩、交尾のようなキスを繰り返したからといって、ローゼンはあんなに淫らに喘いだりしない。腹を膨らませながら幸せそうに強請りもしない。
本能を剥き出しにしてしまった獣のような、あんなローゼンを知らない。
『ダリ……っ 東の国で、待っていて…っ!私を許してくれるなら、どうかその国で……っ!』
女王になったローゼンは東の国に一人で渡る。
孤城でアルファの子供を産んで、一人で育てなければならない。
けれどローゼンは俺を呼んでくれた。許してくれるなら来て欲しいと。
きっと解っていたんだ、婚礼が始まったその時から、アルファとの交尾はローゼンの意志では避けられないのだと。
それを許して欲しいと、俺に伝えて去って行ってしまった。
『……怒らないで。私の身体は種の為にあるべきもの。けれど心はいつだって貴方に捧げている』
甘い夜の睦言でしかない言葉だ。
けれど俺たちは始めから身体で通じる存在では無かったはずだ。一緒にいた時間が、愛が、育まれた関係だから、ローゼンが種としての役割を全うする姿を愛せないわけがないんだ。
「助けに行くのか」
おもむろに踏み出した俺に、女王が語りかけた。
「行かない方が良い。ローゼンを愛しているならこの国に留まりなさい。互いの為に」
俺は女王の言葉を振り払って駆け出した。
城郭に近づくにつれて、ローゼンの嬌声が響いていた。
その日、俺は初めて夜明けを知った。
暗がりが晴れていき、空が塗り替えられていく。
朝陽は無冠の間に横たわるローゼンの姿を浮き彫りにした。
夜明けなんて知りたくなかった。
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