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延焼

 男が居なくなって静かな日々が戻っても、以前は屈託なく明るく笑っていたはずの奏介は、しおらしいまま翳りを纏っている。一度深く引き裂かれてしまった傷痕は元の通りに綺麗に無くなることは無い。浩介も奏介もそれを実感した。男に掻き乱された二人の心は、その存在を消してもなお、痛みを伴ったままジュクジュクと膿んでいる。寄り添っていても言葉を交わしていてもまだ疼く。  暫くして、奏介が家の中で傷痕を隠すことが無くなった。その代わりに、浩介の視線が奏介の背を見ることは無くなった。痛ましい痕跡などどこにもないように、二人だけの優しい日々を取り戻そうと足掻くようになっていた。  焼け爛れた痕に張った薄くなった皮膚は、すぐに突っ張って軋む。今にも破れてしまいそうにも思える危なっかしい傷痕を隔てて、互いに取り繕ったガーゼで覆い隠そうとする。決して傷痕から膿が漏れて溢れぬようにと。  男が死んだ日の夜、浩介は家に帰って来なかった。奏介は帰りの遅い浩介を心配して、家の近所まで探しに出ていた。急に辺りに広がるけたたましいサイレンの音に、浩介の身を案じて現場に駆け付ける。そこで起こった交通事故の被害者が、義父であると野次馬に紛れながらに勘付いた。そして奏介は、道路の片隅に黒い犬のキーホルダーが落ちている事にも密かに気付く。それをこっそりと拾い、持ち帰っていた。  家の玄関にある筈のキーホルダーが事故現場に落ちている事で、奏介にはその夜に起きた出来事の顛末が想像出来ていた。  後にむかえた警察の事情聴取の際、奏介は「その晩は浩介と共にずっと家に居た」と証言をする。浩介も全く同じ証言をした。二人に迷いは無かった。事故の現場で拾った犬のキーホルダーは、浩介すらも気付かぬうちに奏介が仏壇の破片と共に焼いた。

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