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第3話
午前七時、俺は自分の部屋を出る。
ワンフロアを6LDKに区切った居住スペースを後にし、ただひたすらに階段を上り続けた。
目指すのは、同じビルの最上階。
そこで、彼は生きている。
二十階建てのビルのほとんどが空き部屋か物置で、人が生活している空間はほんの一部だ。
ここをアジトと呼ぶやつもいるが、いかにも悪の組織という感じがして俺はどうも好かない。
アンジェの未来予知能力を使ったこの裏ビジネスを始めて、もう十年近くになる。
最初は必死にかき集めなければならなかった依頼人も、今や予約リストにキャンセル待ちの 文字が踊るほどの盛況ぶりだ。
その数に比例するように動く人と金の量も莫大になり、裏切りや仲間割れは日常茶飯事。
時には俺自身が引き金を引くこともあった。
階下 でなにが起こっているのかなど露をも知らずに、彼はひとり、そこで生きていた。
目が回るほど何度も回転する階段のすべてを上りきり、やっとそこにたどり着いた。
上る時も下る時も、俺は決してエレベーターを使わない。
あの箱は、日常生活の中で最も馴染みのある密室だ。
使ってしまえば、自ら敵の罠に飛び込んでしまうようなもの。
この世界では、他人は信じるためにいるのではない。
信じたフリをして、疑って、そして裏切るために存在しているのだ。
硬い廊下をゆっくり踏み締めるように歩き、奥にたったひとつだけある白い扉の前に立つ。
扉の向こうからは、物音ひとつ聞こえていない。
彼はもう起きているはずだが、分厚い金属の壁がすべての気配を遮断していた。
俺は右手で胸ポケットの中を探り、サングラスを取り出した。
明るかった世界が、すぐに灰色に染まる。
俺の指紋だけに反応するよう特別に作らせたドアノブが反応し、カチリと音を立てた。
白に囲われた世界の中心に、彼はいた。
ベッドに腰掛けていた後ろ姿が、ゆっくりと動く。
そして向けられた一途な視線を前に、一瞬身がすくんだ。
神を力を宿した瞳が、俺の姿をとらえる。
「おはよう、アンジェ」
「ドクター!」
「今日は気分が良さそうだな」
「うん!」
暗がりの向こう側で、笑顔が眩しく弾けた。
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