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第5話

 硬直する俺の様子を楽しむように、アンジェの唇がより綺麗な弧を描き出す。 「そんな言葉、どこで覚えた……?」  かろうじて絞り出した声は、上ずっていた。 「僕が本当になにも知らないと思っているのなら、ドクター、それはとても哀れなことだよ」 「なに……?」 「依頼人たちがみんなドクターの言いつけを守ってるとは限らないんだ。この世界で生きる人たちは総じてみんな話したがりだしね」  ふいにアンジェの笑みが消え去り、垂れていた目尻が吊り上がった。  心臓がものすごい速さで動き始める。  口内を潤していたはずの唾液が一気に干上がり、呼吸することすらも苦痛になった。  こんなアンジェを、俺は知らない。  真っ直ぐに射抜く鋭い視線。  荒い呼吸に合わせて膨らむ鼻孔。  隙間なくぴったりと合わさった上下の唇。  目の前の少年から滲み出ているもの、それは――  ありったけの憎しみ。 「なにを、知っている?」 「こんな言い方はなんだか仰々しくて嫌なんだけど……僕の過去」 「なぜだ?お前には未来しか視えないはずだろう!」 「そう、僕には未来しか視えない。でも過去なんて、探せばいくらでも残っているものなんだよ。頭の……記憶の中にね」  眩暈がした。  ――アンジェの過去。  両親が大きな研究所に勤めていたことも。  その研究所で、人知れず人体実験が行われていたことも。  彼らが知らない間にモルモットにされていたことも。  生まれたばかりのアンジェを抱いて逃げようとした両親が、研究所のやつらに(なぶ)り殺されたことも。  残されたアンジェを、彼の兄が連れ出したということも。  それは、すべて知ってはいけない過去だったのに。 「たったひとりでいるとね、いろんなことを考えちゃうんだ。時間はたっぷりあったし、思い出したかったことは全部案外すぐに見つかるところにあったよ」  軌跡がはっきりと残るくらいゆっくりと腕を伸ばし、アンジェは枕の下に手を入れた。  取り出されたのは、小さな銃。  乾いた喉が、コクリと鳴った。 「これも、親切な依頼人がくれたんだ。使ってみなさい、ってね」 「俺を殺す――のか?」  答えはない。  アンジェは、その小さな金属の塊をただ手の中で弄んでいた。  真っ白な空間の中、鈍い光を放つそれは明らかに異質だ。  そう、異質であるのに、まるでそこにだけ現実世界が纏わりついているような生々しさも携えていた。 「ドクター」 「……なんだ」 「もう、ずっと思っていたことがあるんだ」  アンジェの黒い瞳が揺れる。 「牧師が言ってた。この世界のものはすべて神に創られたんだって。だとしたら、僕は失敗作だよね……?」  ふらふらと戯れていた銃口が、ぴたりと止まった。 「僕には、生まれてきた理由がわからない。両親の命を奪って、あなたを苦しめるだけの存在だったなんて思いたくない。だから、確かめたい」  こめかみを、冷たい滴がゆっくりと伝う。 「たとえば僕が死んだら、この世界はなにか変わるのかな?」 「アンジェ……ばかな真似はやめろ」 「ばか?僕はそうは思わない」  奇跡の力を宿した瞳から、澄んだ(しずく)が零れた。 「だって神は、僕を愛してなんかいないんだから」 「アンジェ!」 「神は今、微笑んでいるはずだ」 「やめろ――!」  俺が手を伸ばすのと、アンジェが引き金を引くのと、どちらが早かったのか。  そんなことは、アンジェの血に濡れた左胸を見れば明らかだった。

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