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第6話

「アンジェ!アンジェ、しっかりしろ!」 「ははっ……初めてにしては上出来、だね。心臓はちょっと、外れた、けど」 「しゃべるな!」  アンジェの肩が上下するたびに、傷口を圧迫する手がどす黒く染まった。  生暖かい液体がコプコプと溢れ、無機質な床に命の形を描いていく。  現実だと信じたくないのに、目の前で繰り広げられる光景はあまりに現実味がありすぎて、発狂しそうだった。 「すぐに医者をっ……アンジェ?」 「今さら外に出そうなんて、残酷だよ……ぐ、ぷっ」  言葉と一緒に、血飛沫が上がる。  冷えた幼い指先が、俺の頬を汚した紅をそっと拭った。 「いいんだ、ドクター。助けなんて、いらな、い」 「アンジェ……」  俺は、細い身体をベッドに横たえた。  純白の世界が、あっという間に色を変えていく。  裏腹に、アンジェの身体からはどんどん熱が失われていった。 「これがお前の欲しかった『自由』なのか……?」 〝生〟からの解放。  それが、アンジェの欲した自由――? 「こんな結末を、お前は望んでいたのか!?」 「ちが、う……違うよ、ドクター。僕が欲しかったのは、あなたの、自由だ」 「俺の?」 「これでもう、あなたがここに縛られる理由はない、でしょう?」 「なに……?」 「僕、知ってた、よ。ドクターが、僕を愛してくれてたこ、と。でも同じくらい、う、うん、それ以上に、僕を憎んでいることも、知って、た」  そうだ。  俺はアンジェが憎かった。  何度思ったか分からない。  アンジェさえいなければ、まっとうな人生を歩んでいけた。  アンジェさえいなければ、家族を失わずに済んだ。  アンジェさえいなければ、俺は幸せになれた。  アンジェさえいなければ――。 「なぜ、そんなふうに笑う……?」  まるで、悪しきものなどなにも知らない天使のように。 「どうしてそんなにも幸せそうに、満足そうに笑うんだ!なぜっ……」  俺を責めてくれない……! 「嬉し、い、から」 「嬉しい……?」 「やっと僕が、生まれてきた理由がわかった気がす、る」  荒かったアンジェの呼吸は、いつも間にかとても穏やかに、静かになっていた。 「ドクター、お願いがある、んだ」 「……なんだ」 「サングラスを、はずして……?」 「なに?」 「最期に、ドクターの顔が……見たい。一度でいい、から、おねが、い」  アンジェの瞳から、透明な雫がぽろりと溢れた。  ゆっくりとこめかみを伝い、シーツに染み込んで消えていく。  俺はその行く先を見届け、サングラスを取った。  遠くに投げ捨てると、床で跳ねる安っぽい音がする。  アンジェは不思議そうに俺の顔を見つめ、やがてくしゃりと破顔した。 「とっても綺麗、で……優しい。僕が思っていたとおり、だよ、ドクター」 「ジェイド」 「えっ……?」 「俺の名前は、ジェイドだ」  蕩けるように垂れたアンジェの目尻が、ふいに苦痛にまみれる。 「おか、しいな……」 「アンジェ?」 「ドクターの、()、見てる、のに……なにも、視えない」  なん、だと――? 「アンジェ、俺の未来は?俺はどうなる!?教えてくれ!」 「だめだ、よ、ドク、ター。もう、なにも、みえな……」  光を映さなくなった瞳が、俺の輪郭だけをくっきりと映し出す。 「一緒に生きていられて、嬉しかった……ジェイドにい、さ、」  あ、を(かたど)った唇は、二度と形を変えることはなかった。

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