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1♡⑨
聖南は、帰り着いてから料理に火を入れた。
温かいものを食べさせたかったから、なんて優しい事を言う恋人のてきぱきと動く姿を、贅沢にも間近で見られた喜びったらない。
ファンの人達にも見せてあげたいくらいだ。
腕まくりをして菜箸を持って、同時に全部の料理を仕上げてく器用な聖南は、お世辞抜きでどの世界でも上手くやっていけそう。
「久しぶりだから自信ねぇな。 美味い?」
「おいひぃです! 聖南さん、コックさんも出来そうですね!」
「良かった。 …葉璃、顔が疲れてんぞ。 無理はするなよ」
もくもくと聖南の手料理を食べてる俺の横で、あんまり箸が進んでない聖南はずっと俺の頭を撫でていた。
心が沈んじゃってるのを見透かされて、その原因までも知られてしまってるような気がして、咀嚼していたものを飲み込んでから聖南を見上げる。
我慢出来ずに俺が一声上げたら最後、聖南はきっと、持てる全勢力を駆使してしまうから…沈んでる事は口が裂けても言えない。
「……大丈夫です。 聖南さんが居てくれるなら、俺はいくらでも頑張れます」
「そりゃそう言ってくれんのは嬉しいけどな。 俺は葉璃が無茶してぶっ倒れねぇか心配なんだよ。 春香の影武者とは訳が違うだろ」
「そうですね、…でも半年間だけです。 恭也がETOILEと映画の撮影の二足のわらじを履いてるのと一緒だと思います。 CROWNの三人もそうじゃないですか」
「まぁ……」
「過労死しない程度にスケジュールも組んでくれてるし、俺を必要としてくれる人が居るなら頑張らないと」
ネガティブな本音は一切言わずに言葉を選んでみたけど、これも一応は本音だから嘘ではない。
とにかく何も心配いらないよと伝わればいい、そう思いながら唐揚げをつまむと、聖南に肩を抱かれて耳をこちょこちょされた。
「……変わったな、葉璃」
「そうですか?」
「あぁ。 ちょっと前の葉璃なら、頑張るって言いながら下唇出てた」
「ふふっ……」
「葉璃の背中を押してやるのは俺の役目だ。 でも葉璃の泣き言を聞くのも俺の役目。 何かあったらすぐに言え。 しんどいと思ったら愚痴れよ、じゃないと俺の居る意味が無くなる」
「………聖南さん……」
ダメだよ……そんなに優しい言葉をくれたら、甘えて縋ってしまいたくなる。
今までどれだけ周囲に恵まれていたか、聖南やみんなに守られてきたか、改めて思い知ったんだよ。
けどもう逃げられないんだから、この幸せな時間にまで重たい気分は引き摺っちゃいけない。
弱音は吐かないって林さんとも約束したし、聖南には何としてでも隠し通さなきゃならない。
何しろ、俺が決めた事なんだ。
無茶苦茶な任務だって事は最初から分かってたけど、それでもやるって決めたのは俺自身。
ミナミさんも言ってたじゃん、メンバーみんなも葛藤があって俺を受け入れきれてないんだ。
同じ境遇に立たされた時、俺も彼女達みたいな葛藤を抱くと思う。
どうして別事務所から助っ人を呼ぶの。 しかも女性ではなく男性を選んで、かつ「女装」させてまでLilyの十一名体制を継続しなければならないのは、柔軟さを履き違えてるんじゃないの。
……俺だけじゃなく、この話を知ってる人はみんな同じ思いを抱いたはずだ。
あまりにリスクが大き過ぎるって。
それでも打診してきたのは、この影武者が成功すると偉い人達が達観しているから。
俺のダンスのセンスを買ってくれた、聖南達も過去にお世話になった三宅講師が太鼓判を押してくれたから。
分不相応だと拒否するのは簡単だけど、やるべき任務の大きさは他の仕事と何ら大差ない。
そこにちょっとしたリスクが課せられるだけ。
そう、ちょっとだけだ。 …ちょっとだけ。
「ふぅ、…ごちそうさまでした!」
「すげぇ、ほんとに残さなかったな」
「美味しかったですもん!」
五人前くらいの量を、俺がほとんどペロッと食べてしまった事に驚く聖南に、ドヤ顔をしてみせる。
聖南がこんなに早く帰宅出来るのは滅多にない事で、テーブルいっぱいの手料理達も相当に貴重だから残すなんてあり得ない。
独り暮らしが長かったとはいえ、ずっと多忙な聖南がいつどうやって覚えたんだろってくらい美味しい晩御飯だった。
加味された愛情もプラスされて、お腹も心も存分に満たされた。
「練習用の素材ってどれ?」
食洗機に食器を入れ終えた聖南が、手を拭いながらキッチンから出てくる。
訝しく思われそうだけど、鞄から取り出したそれを聖南に手渡した。
「あ、…これです」
「は? これってMVじゃん。 そうじゃなくてレッスン用の…」
「いいんです、MVの方が全体見られるから」
「………分かった。 どこでやる? リビングか書斎?」
書斎で、と言った俺に付き添って、聖南はパソコンの電源を入れた。
言わなくても姿見鏡を書斎に運んでくれて、俺より覚えの早い聖南が前に立って振り付けを見てくれる。
深夜を越えても、俺が「そろそろ眠たいです」と言うまで、聖南は本当に練習に付き合ってくれた。
サビでの指先まで動かす振りの最中、「なんだこれ! 細けぇ!」って叫んだのには笑ってしまった。
レッスン用のDVDじゃなく、MVを手渡された事に若干の難色を示してた聖南も、練習していくうちにそんな事は忘れてしまったみたいだ。
俺もそう。
初めて「楽しくない」と思ってしまったダンスが、聖南と踊ってるだけでこれ以上ないくらい「楽しい」ものになった。
ネガティブな俺なら、ちょっとくらい嫌な事があってもいつも通りの卑屈さ全開に出していけば乗り越えられる。
聖南が居てくれるなら、造作もない。 簡単な事だ。
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