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思い出の楽屋で、聖南が獣になる事は無かった。
尊い葉璃の言葉が、現在いくつもの仕事を抱えた聖南の尻を叩いてくれたからだ。
葉璃と抱き合い、見詰め合い、触れるだけのキスをした後、温かい気持ちと少々の照れ臭さを引き摺って楽屋に戻る。
しかし扉を開けてすぐに見付けた顔を、今の今まですっかり忘れていた聖南は途端に眉を顰めた。
「あー、ハル、セナさんに怒られてたんやな?」
「えっ……?」
ヒナタの時とは打って変わった、親しげな友人同士にも見せないような視線が葉璃に向けられる。
聖南と葉璃がアキラ達よりも遅れて戻って来た事で、何も知らないルイが「お疲れ様」の声も掛けず、いの一番に葉璃のプロ意識の無さを非難した。
「しゃあないよな、本番始まっても戻って来んとどっか行ってたんやもん。 まったくなぁ、本番中は恭也頼みなのに肝が太いっちゅーか何ちゅーか……」
「ルイ、お前……っ」
「セナ! ほら、コーヒーあるよ、コーヒー! 恭也が淹れてくれたよ! ハル君もこっちこっち! 甘いのも作ってくれてたから飲んだらっ?」
聖南が言い返そうと一歩を踏み出すと、良くない雰囲気を察したケイタがマグカップを手に聖南の元へ駆け寄る。
それを受け取りながらも、聖南はルイから目線を離さなかった。
『……なんだよ、やけに嫌味な言い方するな』
本番が始まる前に葉璃が楽屋に居なかったのは、Lilyの出番がETOILEよりも先だったからである。
どこかで油を売っていたわけではない。
葉璃には葉璃の重要極秘任務があって、それを誰にも悟られまいと独りで戦場で戦っているのだ。
ルイ以外の面々はそれを知っているため多少なりともカチンときてはいるが、迂闊に語る事の出来ない話題なので黙っているしかなかった。
聖南はチラと葉璃を振り返る。
誰が聞いても嫌な言い方だったそれは、ネガティブな葉璃をさぞしょんぼりとさせているだろうと思いきや、あろう事かその眼力でルイを睨み付けていた。
『…………は? え? 葉璃……?』
「葉璃、先に着替えておいで」
「え、あ……うん」
恭也が淹れたというコーヒーの香りが立ちこめる楽屋内は、出番終わりで清々しい気持ちと比例していなくてはならない。
だが聖南は、胸騒ぎを覚えた。
カーテンで仕切られたそこへ入って行った葉璃は、フンッと鼻を鳴らし気味にして気丈にルイを見ていたのである。
よく知らない他人を極端に苦手とする葉璃が、相手の瞳をジッと見た上に不機嫌さを顕にしているなど信じられなかった。
恐らく一度と言わず接触している二人の間に、聖南には分からない空気が流れている事が無性に気に入らない。
異常なほどの独占欲を持つ聖南にとって、誰にも見せた事のない葉璃の不機嫌な様相は、嫌味発言での憤りを遥かに凌ぐ嫉妬を生んだ。
「ハルが着替えてる間、セナはひと息入れな」
「…………おぅ」
「セナさんお疲れ様っす! やーっぱCROWNカッコいいっすね! カバー楽曲を自分らのもんにするアーティストってそうはおらんもんなぁ」
「ETOILEも良かったろ」
「そうっすね! 大塚からデビューしただけの事はあるなって感じやなぁ。 鍛えられてるわ」
「基本が出来てねぇと、あそこまで踊れねぇし歌えねぇよ。 二人は根っこがアーティスト向きなんだ。 事務所は関係ねぇ」
「……そっすか」
コーヒーに口を付けながらルイの隣へと腰掛けた聖南を前に、アキラとケイタは微妙な面持ちだ。
納得いきません、とその顔にしっかり滲ませているルイも、聖南の分かりやすい憮然さに気付きさすがに空気を読む。
CROWNの楽屋では滅多に流れる事のない重苦しい空気が漂う中、着替えを終えた葉璃が仏頂面で出て来た。
頬を僅かに膨らませているところを見ると、葉璃は確実にルイに対して怒りを持っている。 それも、昨日今日ではないような気安さを聖南に感じさせるほどの……である。
「……恭也、頂きます」
「うん。 葉璃のために、甘くしたからね。 美味しいといいな」
「わざわざごめん、ありがと。 ……ん〜っ、美味しいっ」
「そう? 良かった。 葉璃はめいっぱい、甘くした方が、いいんだね」
「うん、コーヒーは苦くて飲めないもん」
「ふふ……っ、お子様」
「え、お子様〜〜っ? 恭也ひどいよっ」
こちらはこちらで、聖南の心をザワつかせるイチャイチャっぷりを見せている。
腰掛けた葉璃に寄って行き、メディアで見せるそれとはまったく違う柔らかな笑顔で愛おしげに葉璃を見詰める恭也は、いつもながら怪しさしかない。
アキラとケイタ、そして聖南は、毎度この危ない友情を見せ付けられているので慣れているが、初見であるルイは素直な感想を述べた。
「二人って素でもそんな感じなんや。 腐女子が喜びそー」
「ふじょし?」
「……ふじょし?」
「ルイ、ヒナタちゃんの出待ちするんじゃなかったの?」
「あッ! そうやった! じゃ俺お先に失礼します! お疲れっす!」
「はいはーい、お疲れ様〜」
首を傾げた二人の仲にこれ以上深入りさせまいと、腕時計をトントンと叩いてルイに示す。
するとヒナタに入れ上げているルイは、明るい長髪を揺らして一目散に楽屋を出て行った。
ケイタが今日は実に良い仕事をする。
「……アイツ何しに来たんだよ」
「社長の考えてる事ってたまにほんと意味不明だよな」
「───ねぇハル君、ルイと会った事あったの? ルイのハル君への接し方って何か棘あるよ」
「あ……いや、その……」
「ヒナタの時に出くわしたんじゃねぇ? 妙に馴れ馴れしかったじゃん、ハルがヒナタの時」
「そ、そうなんです。 前回の収録でちょっと……」
「あぁ……ヒナタの時に会ったのか。 でもハル君へのあの態度ってなんか……うーん……」
違和感を感じているのは聖南だけではなかったようだ。
CROWNのバックダンサーにルイを抜擢したのは他でもないケイタなので、葉璃への刺々しい態度に責任を感じているのかもしれない。
聖南はルイが出て行ってすぐに着替えを済ませ、葉璃が恭也特製の甘いコーヒーを飲み干すまで待ってから立ち上がった。
「そんじゃ、俺ら先に帰るわ。 またな」
「あ、うん。 お疲れー」
「セナ、ハル、お疲れ」
「葉璃、……お疲れ様」
視線で葉璃を呼ぶと、すぐさま察して追い掛けてきてくれた事が救いだった。
だがしかし、聖南の嫉妬は並大抵ではない。
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