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事情を知るいつものヘアメイクさんがすぐに到着し、素早く白い布を首に巻かれて顔と髪をいじられてる間の楽屋内は、何かの前触れのようにシン……と静まり返っていた。
「───はーい、完成ー! このスカーフを頭から掛けて衣装に着替えてね」
「……はい、分かりました」
薄いピンク色のスカーフのようなものを手渡してきたメイクさんの声に、俺はじわぁっと瞳を開く。
三面鏡を向けられると、そこに映ったのは紛れも無くいつもの "ヒナタ" だ。 今日はストレートのエクステを付けられて、耳横辺りの高さからツインテールにされている。
さっき着ていた「ETOILEのハル」の衣装を脱いで、真っ白のTシャツとジーンズを着用した俺はどこからどう見ても女の子。
変身、と言っていいレベルの変貌ぶりに、俺の中で今度は「バレちゃいけない」というさっきとは違う緊張が生まれた。
「おぉ……っ」
「おおっ……!」
「ヒナタちゃんだ……」
「葉璃じゃ、ない……」
「葉璃じゃねぇ……」
立ち上がった俺を見たCROWNの三人と成田さん、恭也が一斉に声を上げる。
みんなが目を見開いて驚くくらい、変身が成功してる……と思っていいのかな。
すごく複雑だけど……。
特に愕然と俺を見詰めている聖南と恭也が、そっと俺に近付こうとした時だ。
今日はいつにも増して忙しい林さんが、再び大慌てで楽屋に飛び込んできた。
「ハルく、……いやヒナタちゃん、来て!」
「……うぅ……っ、い、行ってきます」
「俺らここで "ヒナタ" の勇姿見とくからな。 頑張れ!」
「はい……がんばります……っ」
「ハルく、……違っ、ヒナタちゃん急いで急いで!」
廊下に人が居ない事を確認し、手招きする林さんがちょっとパニクってる。
口早に聖南から「頑張れ!」と励まされた俺は、昨日の今日でとっても合流したくないLilyの楽屋へ行くべく、下を向いてサササッと早歩きで移動した。
聖南達や恭也とほとんど会話が出来なかった事も不安を煽り、緊張と憂鬱さでまたも喉が締まる。
ほんの十分前に、隣接するホテルからこちらへやって来たLilyの面々。
彼女達の着替えが済んだのを見計らって、俺は呼ばれた。
俺が衣装をこっちで着替えると言ったのは、またリカ達から「大塚はいいな」とか「特別扱い羨ましい」とか嫌味を言われたくなかったからだ。
「ふぅ、……ふぅ、……」
アルファベットのDと、その下に「Lily様」と書かれた紙が貼られた扉前で、二回深呼吸する。
後程また迎えに来る、と手短に話した林さんとは一旦分かれ、心臓がキュッと縮んだ。
林さんがLilyの楽屋を出入りするところを誰かに見られたら、任務が危うくなってしまうからしょうがないんだけど……心細いや。
「よ、よろしくお願いします……」
「………………」
「………………」
うーっっ。 視線が強い……!
本番前で緊張してるからって言い訳が通らないほど、俺を敵対するメンバー達の見る目がメイクも相まってキツい。
覚悟してたつもりなのに、いざこの視線を間近で浴びると誰でも逃げたくなると思う。
ヒッと戦いた俺に近付いてきてくれるのは、ここではリーダーのミナミさんだけだ。
「本番まであと二十分らしいから、着替えて待機しよっか。 そっちに衣装置いてあるから」
「……分かりました」
そう促された俺は、背中に突き刺さる視線をかわしてミナミさんの指差した仕切りカーテンの向こうに歩む。
「…………?」
あれ、……?
みんなの衣装と同じもの、……大きな襟が特徴的な黒のジャケットと同色のホットパンツ(それらには濃いピンクのラインが入ってて可愛い)、さらに黒色のニーハイブーツ。
ほんの一畳くらいの、限られたスペースでは探すまでもないそれが……見当たらないんだけど。
「あの、ミナミさん、……衣装ってどこですか?」
「え? ここに掛けてあるでしょ……あれっ?」
カーテンからそっと顔を出してミナミさんにヘルプを出すと、「え、なんでっ?」と声を荒げ見るからに慌て始めた。
「ちょ、ちょっと待って! スタイリストさんってどこに居るんだっけ……。 ハルくん、私聞いてくるから少しここで待ってて!」
「あっ……すみません、ありがとうございますっ」
カツカツとブーツの踵を鳴らす音が、足早に楽屋を出て行った。
そっか……スタイリストさんの手違いか……。
こんな大きな会場で、しかも何組ものアーティストさんが出演する歌番組だからスタッフさんもそりゃあ、てんてこまいだよね。
俺だけが緊張してガクガクしてるんじゃない。
みんな、良い番組を作り上げるようと必死なんだ……。 誰でも失敗はあるものだしね。
そうやって俺が平静を保とうと壁に寄りかかったと同時に、カーテンの向こうからリカ達の信じられない会話が耳に入る。
「衣装無いの?」
「それじゃあステージ上がれないね〜」
「顔だけ変えても衣装が無いんじゃ……ねぇ?」
「別の衣装着たら?」
「そうそう。 さっき着てたのあるじゃん」
「いっその事さぁ、実はボクLilyのヒナタでしたーって暴露っちゃえば」
「きゃはははっ……それやられちゃったら私達もヤバイじゃん!」
「いいよもう、Lilyはアイのせいでめちゃくちゃなんだし」
「だねー」
「………………」
…………何…………? 嘘でしょ……?
そんな、……。
俺は信じられない思いで、カーテンで仕切られたそこから出ていく。 リカを含むいつもの面子はしたり顔で腕を組み、唖然とした俺に意地悪な笑顔を向けてきた。
───もしかして、リカさん達が……衣装をどこかへやった……? 俺を出演させないために……?
いや、そこまでしないよ。 いくらなんでも、ここまでの意地悪しないよ。 だってもうすぐ本番なんだよ。 俺が出られなくなったら、困るのはリカさん達も同じなんだよ。
……信じられないけど、信じたかった。
大変な思いをして夢を掴んだ彼女達は、どんな逆境に立たされても自分達でそれを摘んだりしないって、信じていたかった。
でも……無理だ。
この視線、この悪巧みを終えた表情。
リカさん達が、俺の衣装をどこかへやったのは明白だった。
「はい、また逃げたー」
「セナさんに泣き付くんだよ」
「もうどうでもよくない?」
たまらず、俺は楽屋を飛び出した。
逃げたんじゃない。
ミナミさんと一緒に衣装を探すためだ。
彼女達に聞いたって教えてくれっこない。
それならミナミさんに事情を話して、二人で探した方がいいと思った。
「……なんで……っ」
廊下を小走りで掛ける最中、ここまで堕ちてしまった彼女達の動機が俺には計り知れなかった。
こんな足の引っ張り合いをするためにアイドルになったの?
こんな事して後がどうなるか、考えられないくらい黒い塊に心を支配されたの?
ステージに立つことが夢……だったんじゃないの?
俺は悲しかった。 悔しかった。
どうにも出来ない未熟過ぎる俺の立場が、ほんとに無意味である事に切なくなった。
「あっ!? ちょっ、ちょい待ち!」
「…………っっ!?」
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