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打ち合わせは無事に終わり、十二時過ぎからスタジオの準備が出来次第バラエティーの収録が始まる。
俺は今、現場のスタイリストさんから衣装を受け取ったルイさんと楽屋に居て、ちょうど着替えてる最中だった。
「その腹の傷ってキレイにならんの?」
「へっ!?」
「これよ、これ」
恥ずかしいから壁を向いて着替えてた俺のすぐそばに、ルイさんが居た。
ちょん、と右の脇腹を突かれた俺は、上体を捻って急いで衣装に着替えた。
去年の事件の時にできた、スタンガンによる火傷痕を指摘されたのは二回目だ。
服の上から尚もつっついてくるルイさんから、狭い楽屋を逃げ惑う。
「あ、っ……ちょっ……お、俺、脇腹だめなんですよっ」
「いやそんなつもりで触ってないし。 でもまた喘がれても困るから触らんとこ」
「喘ぎませんよっ」
うぅ……っ、あの時のマッサージの事は忘れててほしかった……!
あのあと聖南さんから問い詰められて大変だったんですよ!……と言えないのが悔しい。
「マジでそれどうしたん?」
「こ、転んだんです」
「いつ?」
「えっ? いつって……忘れました」
「見た感じそんな何年も経ってるような傷には見えんけど」
「いいじゃないですか、俺の傷の話なんて」
「……まぁええけど」
この傷の説明をし始めたら確実に日が暮れる。 しかも話すとなると聖南との関係をバラす事にもなるし、二つの芸能事務所が犯人含めて闇に葬った事件だから、絶対に口を滑らせちゃいけない。
ふーん、と納得のいかない表情でパイプ椅子に腰掛けるルイさんのチャラい後頭部を見て、俺はホッと胸を撫で下ろした。
もう、無闇にルイさんの前で着替えらんないや。
「あ、ハルペーニョ、すまんけどここで電話しても構わん? 今日廊下に人がぎょうさん居ったから通話しにくい」
「全然いいですよ。 俺気配消すのうまいんで」
「すまんな」
スマホとタブレット端末を交互に見ていたルイさんが、わざわざ俺に断るなんてよっぽど急ぎの連絡なのかもしれない。
こんな事今まで無かった。
仕事の連絡でも無いんだろうなって、俺は軽く考えながら出来るだけルイさんから距離を取ろうと楽屋の隅に寄って行く。
うん……この角っこってどうしてこんなに落ち着くのかな。
「───なんや。 ウロウロしたらあかんやろ、ばあちゃんいつコロッといくか分からんのやぞ」
え、……? ばあちゃん? ……コロッと……?
何気なく話しているルイさんの声のトーンと内容が、通話早々合ってないんだけど……。
俺が聞いてちゃいけない超プライベートな会話のような気がして、咄嗟に両耳を塞いだ。
「あぁ、……うん。 そうや。 開けるのはしばらくは厳しいと思うわ。 いやいや、……そっちの金は別で取ってあるから心配せんでいい。 ほんじゃあな、しっかりメシ食えよ。 週末行くしやな、それまで生きとれ」
やだ、……やだ、……何?
なんて会話してるの。
ルイさん声が大きいから、両耳塞いでても丸聞こえだったよ。
……どういう事なの。 ルイさんのおばあちゃん、……。
「………………」
「………………」
ルイさんは一つ小さく溜め息を吐いて、静かにスマホを長机の上に置いた。
今のたった三分くらいの会話で、おばあちゃんが大変そうだって事が疎い俺にも分かった。
ルイさんに背中を向けていた俺は、どういう顔をしてたらいいか分からなくて振り返る事が出来ない。
俺、……気を利かせて楽屋出れば良かった。
隅っこに居たって、気配は消せても会話を聞かないようになんて無理だ。
「マジで気配消すのうまいな。 壁と一体化してるやん」
普段と変わらないルイさんに声を掛けられて、ジッとしてるわけにもいかない俺はじわりと振り返った。
「……でしょ」
「さーて。 ハルペーニョの出番はーっと……予定では二十分後やな。 衣装もヘアメイクもOK、台本も読んだな?」
「は、はい」
「今日もハルペーニョは居るだけでいいみたいな有名女優扱いなんやから、しっかり花添えて来い。 ええな」
「……うん、分かりました」
……いつも通りだ。
俺がハラハラしているのがおかしいくらい、ルイさんはいつものチャラい雰囲気そのまま台本をパラパラと捲っている。
壁と一体化していた俺は、なかなかその場から動けない。
ルイさんのプライベートに関する説明なんか求めてないし、俺が聞いていい話じゃなさそうだから、とにかくルイさんと同じ "いつも通り" をがんばろうとした。
でも、……振り返ってきたルイさんと目が合うと視線が泳いでしまって、俺のモヤモヤがすぐにバレてしまう。
「なんや。 何か言いたそうやな」
「い、いや、別に。 何も……」
「電話の相手が気になんの? とうとうハルペーニョの中で俺の位置付けが恭也と並んだか? それ結構うれし……」
「それはないです」
「断言早いわ!」
「ぷふっ……」
俺とルイさんのいつも通りの掛け合い、出来た。
楽屋に漂っていた重たい空気がルイさんの突っ込みで緩和されて、引き攣っていた俺の頬がつい緩んでしまう。
穏やかな空気が流れた事にホッとしていると、俺の本心を見透かしたルイさんはさらに動揺させてきた。
「友達が少なそうなハルペーニョには言うてもええか。 ……俺のばあちゃんな、ちょっとヤバいんよ」
「えっ……!?」
ていうか……友達少なそうっていうの聞き捨てならなかったけど、ほんとの事だからいいや。
根暗な俺はそもそも交友関係を広げるようなタイプじゃない。
そんな事は置いといて、だ。
「あ、あの……おばあちゃんヤバいって……」
「俺ワケあり息子なんよ。 身寄りのない俺を育ててくれたのがばあちゃんで、ガチめに死にかけてる」
「え───っっ!? そ、それ、それ、こ、こんなとこで俺と居てる場合じゃないですよ! すぐにおばあちゃんのところに……!」
「あはは……っ、ハルペーニョ、俺の方言移ってきてるやん」
「そんなことはどうでもいいよ!」
聞いてた会話の内容通り、おばあちゃんが大変だって知った俺は左足を踏み鳴らして怒った。
お父さんとお母さんが居ないルイさんの事を育ててくれたおばあちゃんが、死にそうだなんて……。
やっぱり俺が聞いてていい会話、知っていい情報じゃなかったんだ。
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