169 / 539

16♡3

 今は軽口を叩いてる場合じゃない。  俺の剣幕に少しだけ面食らったルイさんが、「まぁまぁ」と目を瞠って宥めてくる。 「落ち着けや。 ばあちゃんが自分の体ほったらかしてたからあかんのよ。 癌が全身に転移しててな、手の施しようがありませんって言われてもうた」 「───そんな……っ」 「膵臓って一番ほっといたらあかん部位らしい。 ……俺そんなん知らんかってん。 三ヶ月前にぶっ倒れよって、余命宣告された」 「………………ッッ」  ……何と言えばいいのか、……言葉が見つからない。 俺は立ち竦んで息を呑み、そのまま呼吸を一時忘れてしまっていた。  伏し目がちに床を捉えたルイさんが質の悪い冗談を言っているんじゃないかって、……信じたかった俺も質が悪い。  飄々としていて、何にも考えてなさそうで、いつもヘラヘラして俺の緊張を解してくれるようになったルイさんの衝撃的な背景に、受け止めきれない俺のほっぺたがピクピクと痙攣した。  最初は敵意まで滲ませていた俺に、こんなにも重要な事をあっけらかんと語るルイさん。  お父さんとお母さんが居ないという事も、唯一の肉親であるおばあちゃんが死に直面している事も、なんで俺なんかに話してくれたんだろう。  俺の知る限り、聖南の次に口が達者なルイさんなら誤魔化す事だって出来たはずだ。 「今年いっぱい持ち堪えたらええ方やろなぁ。 酒も煙草もガンガンやってたし、本人が一番潔いから俺がしょんだれてるわけにいかんって話」 「……でも……っ! ルイさんも心配でしょっ? おばあちゃんのそばにいてあげた方が……!」 「俺がおったら気が散るんやと。 さっさと仕事に行け、てな、うるさいんよ」 「…………っ」 「まぁ強がってんのやろけどな。 生粋の夜の女やから、弱ってる姿見られたくないんや。 気持ちは分からんでもない」 「……う、っ……」 「会いに行きたくてもそう頻繁に行ってやられん。 うっかり泣き言吐いて醜態晒すくらいなら、死んでもうたがマシや!とかそんなん言うようなばあちゃんやからな。 ……俺も忙しい方が気が紛れてええって……思うようにしてるわ」  『夜の女』が意味するものは、俺には正直よく分からなかった。  でもルイさんはおばあちゃんの性格を熟知した上で、あえて何もかもに対して "いつも通り" に接してたんだ。  おばあちゃんが倒れてしまった三ヶ月前というと、ヒナタになった俺とルイさんが初めて出会った頃にはすでにそういう状況だったって事。  おばあちゃんの余命宣告をお医者さんから受けたルイさんは、今日まで誰にもその悲しみを打ち明けられずにいたんじゃないのかな。 「……ハルペーニョ、メイク崩れるで」 「……っ……っ、……!」  ルイさんに言われて、ハッとする。  俺はルイさんと一緒に床を睨んでいて、気が付いたら視界が歪んで唇を噛み締めていた。  ティッシュを何枚か抜き取って立ち上がったルイさんが、壁と同化した俺に近寄ってくる。 「あーあ、もう。 マジでメイクが崩れる五秒前やんけ。 器用なルイさんが拭いてしんぜよう」  どこかで聞いた事のあるタイトルを文字って、いつも通りがうまいルイさんは本当に器用に俺の目頭と目尻を拭ってくれた。  泣いてる意識なんて無かったのに……。  俺は感情移入するのも申し訳ないくらい、ルイさんの事を何も知らなかったのに……。 「……すみま、せん……」 「俺がこんな話したせいやろ。 謝らんでいい。 一回手叩いたら忘れてまう催眠術かけたるわ」 「……そんなの要らないですよ……っ」  ……どうしてこんな時まで軽口が叩けるの。  話をしてたら思い出しちゃって、ルイさんも神妙な顔してるのかと思ったらこの余裕の笑顔。  事務所内のトイレで初めて会った日、俺にやたらと突っかかってきたルイさんの気持ちを考えると、それさえ悲しくなってくる。  大切な人の死を身近に感じたルイさんの心境は、何かにあたらなきゃ発散出来なかったのかもしれない。  その対象が、たまたま……俺だった。  見上げてみると、見た事もないくらい真剣な表情で俺の目元を指先でトントンしている。  ルイさんの見た目は、あいも変わらずいかにも今流行りのお兄さんって感じだ。 俺と同い年なんだけど、育ってきた環境なのかルイさんは俺なんかより随分大人っぽい。  出会った頃のチャラかった聖南を見てるみたいに派手なナリをしているのに、実は仕事熱心で時間にもうるさい、案外真面目な人だって分かった。  ついこの間、聖南には言わなかったけど仕事で一緒になった俳優さんに俺は絡まれた。 ……いや、絡まれたというか、……食事に誘われた。  その時すかさず現れたルイさんは、思考停止した俺の代わりに俳優さんへ蔑みの目を向けて、相手がどんなキャリアを積んでる人なのかとか一切関係無く、痛烈な言葉で撃退してくれた。  叱咤激励の叱咤が多いのは変わらないけど、仕事現場でもルイさんには何度も助けられてる。  俺はほんとに、こんなに毎日一緒に居るのに少しもルイさんの事を知らなかった。  機会が無かっただけ? ……ううん、ルイさんは今まで、自分の事をまったく話そうとしなかったんだ。 「本番前もメイク直しあるやろから、あとはそこで直してもらい」 「……うん、……ありがとうございます」  素直にお礼を言うと、ルイさんは俺の鼻をつまんだあと口角を上げてニコッと笑った。  そしてすぐ、真剣な表情に戻る。 「ハルペーニョ、人間いつどこでどうなるか分からんぞ。 俺はもうお前のこと、弱虫・泣き虫・へっぴり腰とは思てないけど、後悔するような選択はしたらあかん。 ……悔いのないように生きろよ。 俺、五百十九年生きてるし偉そうにこんな事言うてもええやろ?」 「……五百……? ルイさん、……軽口叩かないと蕁麻疹でも出ちゃうんですか」 「そうかもな。 ハルペーニョはマジに受け取るから面白いんやもん」 「……え、っ? そ、それじゃあ今の全部……っ?」 「そんなわけあるかいな。 いくら俺でもばあちゃんの事は茶化さへん」 「あ、……ご、ごめんなさい……」  ルイさんの言うことは、どこまでが冗談でどこまでが本気か分からない。  信じたかった道が閉ざされて項垂れた俺に、ルイさんは両腕を広げて見せた。 「ん」 「……ん、?」

ともだちにシェアしよう!