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目が点になった。
唇を尖らせて、もう一回「ん」と両腕をわずかに動かすルイさんの意図が分からない。
「なんですか……?」
「これ一回やってみたかったんよ。 ハルペーニョの周りの男連中はみんなハグしたがってるやん? どんなもんか、俺もさして」
「え、……」
「こんな話聞かせた詫びや。 ハグ一回で泣かせた事チャラにしたる」
「えぇっ? それって逆じゃ……っ」
それはお詫びでも何でもない上に、立場が逆転してる。
ほんとにもう……ちょっと油断するといい加減な事ばっか言うんだから。
「ええからええから」
「んえっ!? ちょっ……」
呆れた俺の左腕を取ったルイさんから、グイッと引き寄せられてやんわりとハグされた。
力があんまり入ってない。 物言いとは真逆の、すごく遠慮がちな抱擁。
棒立ちになった俺の心配事は、ルイさんが着てる柄物のシャツにメイクが移ってしまうってことだけだった。
仕事以外ではふざけた発言の多い人だけど、今だけは何だか雰囲気が違うように感じる。
おばあちゃんの話を聞いちゃったせいなのか、ルイさんが「慰めて」って言ってる気がして突き放せなかった。
俺の周りの男連中って誰の事を言ってるのか知らないけど、ハグをするのは聖南と恭也だけだ。
まるでこれを正当化するみたいな、天の邪鬼な誘い文句だった……? なんてね。
これはきっと、考え過ぎだ。
「……ふーん。 ……まぁまぁやな」
何分かずっとハグされていた俺は、唐突に解放された。
その言い草にイラッとして、でもこれも素直になりきれないだけなのかもって余計な事を考えると、普段通りに言い返せない。
「…………じゃあ、……チャラで」
「いや、あと三回分残ってる」
「な、なんでですか! 約束では一回でしたよねっ?」
「たった今、増えた」
「ええっ!?」
「ハグってのはな、お互いひっしと抱き合ってほっぺたスリスリ〜ってすんのが正式なやり方やろ。 それをハルペーニョは一つもクリアしてないやん」
「はぁっ? それルイさん独自のハグですよねっ?」
俺に背を向けたルイさんは、タブレット端末を操作してお茶を一口飲んでいる。
また、空気が変わった。
さっきのハグの時とはまったく違う、いつもの軽々しいルイさんに戻ってる。
よく分からない事を真剣に語る横顔と飄々とした口振りに、俺もいつの間にか "いつも通り" に言い返していた。
「ルイ辞典にはそう記してあるんやからしゃあない。 クリアするまで三回猶予やるわ」
「な、なんで罰ゲームみたいに……」
「これも欧米進出を見越した練習やと思えば、簡単な事やろ」
「欧米進出なんて目指してないですよ! 俺まだデビューして一年なんですよ!? 今でさえ不相応な世界に居ると思ってるのに!」
「夢はでっかく持とうや。 欧米じゃ規模が狭いか? なら世界進出って事か。 ハルペーニョも野心家やな」
「俺は一言も、そんなこと言ってない!!」
デタラメな台詞を並べ立てるルイさんは、台本を手に取ってゲラゲラ笑いながら「スタジオ行こ」と先に楽屋を出て行ってしまった。
口から産まれてきたと言わしめる聖南をも凌駕する、俺を揶揄うようなルイさんの軽口には毎度脱力する。
俺がムキになるからよくないんだって分かってても、言い返さずにはいられないんだよね……。
「……先に行っちゃうし」
廊下から、スタッフさん達に「お疲れーっす!」と声を掛ける大きな声がした。
ルイさんはいつもあんな感じだ。
俺の付き人なんて臨時的なものなのに(今じゃすっかりマネージャーだけど)、「ハルをよろしくお願いします」ってスタッフさん達に頭を下げてる姿をよく見る。
そんな事しなくていいって言っても、俺が緊張でガチガチになってる姿をよく思わないスタッフも絶対に居るから、俺の心象を悪くしないようにしたいんだって。
……いつどこで俺を認めてくれたのか、ほんとに分からない。
雪解け水がポタポタと川に垂れ落ちるように、少しずつ少しずつ俺への態度も言動も変わっていったルイさんが、ついにはプライベートな事を打ち明けてくれるまでになった。
おばあちゃんの強がりだと知っていても、ルイさんはきっとそばについててあげたいはずなのに。
その気持ちを隠して仕事に打ち込むルイさんの何気ない言葉が、以前より深みを増した。
「悔いのないように生きろ、……か」
あの台詞は、ルイさんの本心なんだと思う。
人間いつどうなるか分からないから、選択を誤るなって……。 まだ成人してもいない、大きな逆境にぶつかってもいない、何なら自分で自分を守る殻にほんの二年前まで閉じこもってた俺は、そんな事考えもしなかった。
今の状況を悔いてない。
という事は、これからのこの世界での道も、俺自身が後悔しないように見定めていかなきゃいけない。
───ルイさんが俺に向かって言ってた「甘えるな」の真意が、ようやく分かった。
たった今の意味不明なデタラメな軽口の意味も。
「あの人めちゃめちゃいい人だ……」
おばあちゃんの話題で俺を泣かせてしまったお詫びがこんなに分かりづらいと、ちょっと前の俺だったら気付けなかった。
何がハグだよ。 何が世界進出だよ。
単に俺をあのまま収録に行かせたくなかっただけでしょ。
先にスタジオ行っちゃったのも、俺がここで、一人で気持ちを落ち着かせる時間くれただけなんでしょ。
……分かりにくいんだって。
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