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22❥焦燥

「…………は?」 「…………は?」  静まり返ったレッスンスタジオ内。  オーディション開始時刻から十分を過ぎて、そろそろ社長が業を煮やす頃だと聖南が片目を細めた直後。  長めの髪をひと括りにし、疲労感漂う形相でスタジオに走り込んで来たのは喪服姿のルイだった。  思わず声を発しそうになった聖南同様、一瞬僅かに息を呑んだ社長も、恐らくその姿で彼の事態を察したに違いない。  そして葉璃も、──察した。  床に散乱した候補者達のプロフィールは、たった今葉璃が泣きながら彼らに投げ付けたものだ。  それをもろに受けた候補者の面々の呆気にとられたそれが、次第に不服そうに歪み始める。 「俺は……、俺は、強欲で意地悪で自分の才能に酔ってる高慢な人と仲間になるつもりはありません。 ライバル同士だから仲良くしてくださいなんて言いませんけど、せめてこの場では高め合う姿勢くらい見せてくださいよ。 蹴落とす事で掴んだ夢が嬉しいですか? 心が汚れたまま、大勢の人達を笑顔にする事が出来るんですか? それが正しい夢ですか? ルイさんがどんな思いで、どんな気持ちでこのオーディションに臨んでたか知らないくせに……。 あなた達は自分の才能に胡座をかいてます。 ルイさんを陥れてまで……」 「ハルポン! やめぇ!」 「…………ッ」  普段では考えられないほどの饒舌さで、葉璃は静かに怒りを顕にした。  頭を下げていたルイによって遮られたものの、葉璃は未だ候補者達を視界に捉えて悔しそうに下唇を噛んだ。  聖南もアキラもケイタも、恭也やスタッフや幹部、そして社長でさえも一言も口を挟めないどころか、全員が固唾を呑んでいた。  人見知り、ネガティブ、卑屈さを自他共に認める葉璃が、ポロポロと涙を溢しながらそれを拭う事もせず、切々と全うな意見を述べていたからだ。 「ハルポン、……やめぇや」  聖南が立ち上がるより先に、嗚咽を漏らす葉璃の腕を取ったのはルイだ。  皆が微動だに出来ないピリピリとした雰囲気の中、葉璃の嗚咽とルイの声が場をさらに重たくする。 「……うっ、……ふっ……」 「すんません。 ちょっとハルポン落ち着かせてきます」  そう告げたルイは、両手で顔を覆った葉璃の腕を引きスタジオを出て行くと、磨りガラス越しに階段を上がっていくのが見えた。  間髪入れずに、社長が口を開く。 「──セナ」 「あぁ、行ってくる。 お前ら十分待機な」  立ち上がった聖南は静かに頷き、散らばったB5用紙数枚の真ん中で硬直する候補者四名に向かって待機を命じた。  心配せずともあの場では誰一人声すら出せないだろうが、ややキツめに睨み付けてしまったのは私情が大いに絡んでいる。  滅多に本気で怒る事のない葉璃が、かつて聖南の父親に向かってブチ切れた罵声染みたものではなく、かと言ってがなるでもなく、悲しみの感情を抑えきれないといった声色で彼らを蔑んでいた。  その理由など、言わずもがなである。  聖南は足音に気を付け、階段を上った先の二階踊り場での二人の会話を黙って盗み聞いた。 「なんでハルポンがあんな爆発してんねん」 「ルイさんっ、……ルイさんっ、その格好ってまさか……!」 「あぁ……。 ……ばあちゃんな、逝ってもうたわ。 午前三時三分に」 「そんな……!!」 「すまん。 そういうわけでバタバタしてて遅なった。 忘れてたわけちゃうよ、レッスン着まで頭回らんかった言い訳もせえへん。 斎場にばあちゃん残して来てるから、社長に理由話して抜けさせてもらうつもりでおってんけど……必要無いかもしれんな」 「…………ルイ、さん、……!」 「ハルポン、そない泣かんといて。 覚悟してる言うたやん、俺。 せめて今日のオーディションまでは持ちこたえてほしかったけどな、こればっかりは……しゃあない。 しかしな、恨み節も言えんのやで。 ……もうこの世に居らんのやから……」  ルイが語るごとに、葉璃の嗚咽が大きくなっていく。  やはりそうだったのかと、聖南もギュッと瞳を閉じ、腕を組んだ。  やりきれない。  泣いている葉璃を独占している事を脇に置いておけるほど、ルイの身に起こったあまりにも悲しい出来事に思わず溜め息が漏れた。  聖南は彼の祖母の容体についてまでは把握していなかった。  誰にも深く語らないルイと、唯一秘密を共有していた葉璃が、とうとう今日まで口を割らなかったためである。  深夜から亡き骸に寄り添い、悲しみに暮れていたであろうルイはあの通り喪服で現れた。 大急ぎでやって来たのは明白であり、理由を話さなくてはならない責務からあえて遅れる旨を連絡しなかった。  彼の性格上、特に葉璃からの同情は買いたくなかったはずだ。 「ルイさん……っ、ルイさん……っ」  そっと覗いてみると、葉璃はルイの胸元にしがみついて泣き喚いている。  聖南の前でも、これほどの嗚咽を漏らした事はない。  堰を切ったように、歯止めの効かない幼子のように、自らの愛する人を失ってしまったかのように、なりふり構わずわんわんと泣く様など見た事がない。 「……ハルポンがそない泣いてたら、あかん……あかんよ、俺まで……っ」 「ルイ、さん、……!」 「ハルポン……っ、どないしょ、……ばあちゃん、逝ってもうた……逝ってもうた……っ」 「……わぁぁ……っ」  恐らく必死で我慢していた感情が、心身共に寄り添う葉璃の体を抱き締めた事でいよいよ溢れ出した。  膝から崩れ落ちそうな葉璃を両腕でしっかりと支え、抱き締めてくれと言わんばかりに華奢な体にしがみつくルイの涙声を聞いた聖南は、深い溜め息も気配も殺し、踵を返した。  二人の間で分かち合っていた秘密が亡くなってしまい、尚且つ糧となるものをルイは同時に失った。  その喪失感たるや、聖南には知る由もない。

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