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事実無根のあのような写真一つで、この関係を壊されてたまるものかと奮起する気持ちが芽生えた。
大きなショックと衝撃は受けたものの、誰に疑われようが葉璃さえ信じてくれればいいのだ。
葉璃ならきっと、信じてくれる。
もっと深いところで通じ合いたくて多少強引な手を使ったが、葉璃とはどんな羞恥も弱味も見せ合える仲になったという自負がある。
聖南は何一つとして隠し事などしないという事を、葉璃にだけは分かっていてほしい。
和んだ空気を一変させかねないが、帰宅後キッチンに立った聖南は自身を落ち着かせようと幾度も深呼吸を繰り返した。
「あ、……葉璃。 紅茶とコーヒー、どっちがいい?」
「……んー……」
部屋着のパーカーに着替えた葉璃がキッチンにやって来たタイミングで、細腰を抱き寄せて聞いてみた。
最近は聖南のスキンシップにも慣れてくれ、嬉しそうにポッと頬を染めて寄り添ってくる葉璃は最大級に可愛い。
「聖南さんはどっちの気分ですか?」
「俺? 俺は……葉璃の飲みたいものが飲みたい気分」
「えぇ?」
「どっち?」
「んーと、じゃあ紅茶で!」
「甘いコーヒーより紅茶の方が好きになったよな、葉璃」
「聖南さんの淹れ方が上手いんですよ! あっ、あのアップルティーがいいなぁ」
「オッケー」
微笑んだ聖南はその場で手を洗い、戸棚から油絵のタッチでりんごが描かれた丸い筒缶を取った。
フランスの老舗食料品店の品であるこれは、葉璃が好みそうなフレーバーティーを探している最中に見付けた、聖南もお気に入りの一つだ。
食器棚からティーカップのセットとティーポット、ティースプーンを手に取り、ケトルで湯を沸かす。
終始隣から視線を感じ見下ろすと、葉璃が聖南の動作を食い入るように見詰めていた。
「葉璃ちゃん、座ってていいよ?」
「……見てちゃダメですか?」
「いいけど……」
「このパラパラしたのって、量ったりしなくていいんですか? 聖南さんいつも目分量で入れてますよね」
「あぁ、もう大体分かるんだよ。 このスプーン二杯入れたら、二杯分のアップルティーが淹れられる。 これはアプリコットより少なめに入れた方が美味く仕上がるんだ」
「えぇっ!? 聖南さんスゴイですね!」
「二年前の謹慎中に猛特訓してたからな」
「……猛特訓? 何でですか?」
「葉璃がいつウチに来てもいいように。 喜んでもらいたくて」
「え……そ、そうなんですか……」
もはや遠い過去の事のように感じるけれど、あれからまだたった二年しか経っていない。
当時の傷痕は目立たなくはなったが、残念ながら医師からは完全に消える事はないと告げられている。
しかしながら、あの時まさに葉璃への恋に目覚めていた聖南は、今振り返れば無駄な日々では無かったとしみじみ思う。
根暗で卑屈でネガティブを地で行く葉璃とのすれ違いに悩みながらも、死ぬまで孤独なのだと悲観していた人生が華やいだ当時から、現在に至るまで。
後に同じ場所に傷を負った最愛の人との暮らしを通じ、支え合う事の大切さを日々学んでいる。
聖南のすべてを見せられる唯一の相手が、いつまでも隣で笑っていてほしいと望む葉璃なのだ。
「言ったこと無かったっけ?」
「いや、……あるかも。 甘いコーヒーの練習いっぱいしたって。 その時ですか?」
「そうそう、同時にやってたんだよ。 メシ食えなくなってた時期だったから、俺はあん時甘いコーヒーとこの紅茶で生き延びてた」
「……聖南さんー……」
「よしよーし。 俺も葉璃ちゃん大好きだよー」
ギュッと抱きついてきた葉璃の頭を抱いて、柔らかな髪を梳く。
きっとこれは、〝ぐるぐるして聖南さんを悩ませてごめんなさい〟、〝大好きです〟の意味が込められていると解釈し、聖南もぎゅぎゅっと抱き締めようとした。
だがしかし、空気の読めないケトルから沸騰の知らせが鳴り響いた。
仕方なく聖南はティーポットに湯を注ぎ、茶葉を踊らせる。 そしてすかさず、葉璃に指令を出した。
「葉璃、二分計って」
「えっ? に、二分っ? いーち、二、三、……」
「秒針見てねぇのに正確なのすげぇな」
天性のリズム感を持ち合わせた葉璃が、正確に時を刻み始めた。
素敵な声にうっとりしていると、二分などあっと言う間だ。
「~~……百十九、百二十、百二十一、百二十二、百二十三、……」
聖南と葉璃が美味いと感じる適切な抽出時間で完成したアップルティーをティーカップに注ぎ入れている間も、葉璃は目を瞑り、指折り数えてリズムを刻む素敵な声は止まらない。
可愛くて面白いので葉璃をそのままにし、聖南はカップをソファ前のテーブルに運んだ。
「~~……百五十、百五十一、……聖南さんっ、二分って何秒でしたっけ!?」
「ん~? 百二十」
「えっ!? ちょ、ちょっと! 止めてくださいよ!」
「あはは……っ、俺がカップに注いでんの気付いてただろ」
「気付いてましたけど!」
「あーもう~。 葉璃ちゃんは何でそんなにかわいーんですかー?」
「わわわっ……聖南さんっ、俺さすがに聖南さんをおんぶ出来ないです!」
止めてくれなかったと膨れた葉璃に甘えるように、背後からのしかかる。
重いと文句を言われながらズルズルと引き摺られ、ソファまで到達した聖南は、熱々の紅茶を前に葉璃を膝の上に乗せた。
されるがままの葉璃の頬に触れ、気の重い話を神妙に切り出す。
「なぁ、……葉璃」
「はい?」
「何があっても俺のこと信じてくれる?」
「……ん? もしかしてお話始まりました?」
「始まりました」
「えっ、あ、はい。 信じます、もちろん」
「ふふっ……」
目を丸くした葉璃が頷いた様が何とも可愛くて、場に似合わず吹き出してしまう。
聖南が葉璃を信じているように、葉璃もきっとそうであると絶対的な信頼の自負があるからか、つい彼から放たれる癒やしの空気に呑まれる。
その自負が失望に変わる可能性を微塵も考えられないというのは、危険極まりない過信なのだと昼間思い知ったばかりなのだが。
「いけね。 ……ったく、笑えねぇ話なのに」
「笑えない話? ……なんですか、こわいな」
「ちょっと手握っててい?」
「いい、ですけど……っ」
重ね合わせると一回りは小さな手のひらを握り、今もなお魅了されている大きな瞳を見詰めて生唾を飲む。
「……葉璃ちゃん、俺……ゴシップ握られた」
「…………え?」
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