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だから何だ。 泣きたいのは聖南の方である。
事実無根の写真一つと、姪の言葉だけを信じて聖南を追及したのは社長の方ではないか。
知った事か──。
本人が目の前に居れば、きっといの一番にこの台詞が口をつく。
しかしながら、黙りこくった聖南の唇は微かに震えていた。
厳格な頑固親父という枕詞がピッタリ当てはまる風体の男が、〝わんわん泣いていた〟と表現されるとは相当だ。
目前にある灰色の壁を睨み付け、動揺しそうな心を無理やり鎮める。 とはいえこれも社長による周到な戦略かもしれないと、聖南は震えていた唇を引き結んだ。
「俺はマジでこの件に関しては、どっちの意見を尊重してる、なんてのは無いんす。 強いて言えばハルポンの味方っすかね。 ハルポンには恩を返したいっつーか、あの子は泣かしたらあかんと本能的に察知しまして」
「……へぇ……」
「セナさんがヤバイ事になってんのに、あのハルポンが平気なわけないやないっすか。 社長の肩は持ちたないけど、あんだけ凹んでたら何とかしたろって思うんが人間でしょ。 セナさんもそうや。 親子喧嘩してしんどいんすよね? ハルポンが毎日、セナさんの元気が無いて心配してます。 写真の件もなんやよう分からんし……そやから俺は首突っ込む言うたんです」
「………………」
社長が泣いていようが、ゴシップの件が不審な点だらけだろうが、聖南の心には一つしか刺さらなかった。
『隠してたんだけどな……葉璃にはバレちまってたのか』
まさか葉璃に、聖南がいつも通りでない事を見破られているとは思わなかった。
変わらない日々を過ごしていたつもりだったからだ。
コーナーソファの定位置で、ふわふわクッションを抱いた葉璃が毎日聖南を癒やしてくれる。
大好きな瞳と声で、失望感により項垂れそうになる聖南の顔を上げさせてくれる。
その存在が在るだけで、やはり聖南は葉璃しか要らないと、そう強く確信を抱くほど心を安定させてくれる。
渋々とでもここに足を運べたのも、聖南が弱るとたちまち奮起する葉璃がこう言ってくれたからだ。
〝何かあったらぐるぐるする前にすぐに連絡してください。 悲しいなとか、寂しくなった、って思った時もです〟
自分では気付いていなかったが、聖南はどうも不安事を溜め込む質らしく、遠慮しないで吐き出せと言外に諭されてしまったというわけだ。
「今は何を言うてもセナさんには響かんかもしれんですけど、一応これだけは言わせてください。 俺にとっちゃ、喧嘩する相手がおるいうのは羨ましい限りっす。 人間なんやし間違える事もぶつかる時もあるでしょ。 何も無い方が不気味やと思います」
ルイは、渋い顔をしたまま無機質な壁を睨む聖南の横顔をジッと見詰めた。
聖南も複雑な家庭環境ではあるが、幼い頃に両親を亡くしたルイの寂しさや葛藤を思うと何も言い返せない。
けれど、そう言われても簡単に気持ちを切り替えられるかと言えばそうでもなく。
後にただの変わり者だと判明する実の父親から、少したりとも家族の愛情を与えてもらえなかった聖南が、それに近いものを他でもない社長から受けていたのだ。
長年の付き合いから生まれたはずの信頼関係など、呆気なく壊れてしまうほど脆いものだと一度感じてしまうと、聖南には経験不足なためかなかなか気持ちを切り替える事は出来ない。
「……そりゃあ……まぁな、……頭では分かってんだけど」
コンクリートの壁から目を逸らさない聖南は、ルイの視線に応える事なくフッと自嘲気味に笑った。
「セナさんはめちゃめちゃ周りに気使うてますもんなぁ。 人と人が衝突せんようになんか分からんですけど」
「……赤ん坊の頃からこの業界に居るからな。 最近はそんな気にしてねぇんだけど、ガキん時は常に大人の顔色見てたんだよ。 干されたらマジで俺の居場所が無くなるって分かってたし。 いかに誰にも不満を与えねぇようにするか、そればっか意識してた頃の名残りかもしんねぇな」
「今じゃセナさんが顔色見られる方っすもんね」
グサッと心の真ん中を刺された。
これもまた反論の余地さえ無い。
CROWNが軌道に乗り始めた辺りから、聖南は芸歴も加味されて持て囃されるようになった。
血の繋がった父親の後ろ盾も強力で、且つこれまで培ってきた人脈により事務所内外の大御所とも密な繋がりがある。
聖南自身の能力も認められ、その見目美しさや才能の豊かさで向かうところ敵無し状態だ。
周囲に気を配り過ぎると、逆効果になる場合もあるほどに。
「……お前はいいよな。 誰にでもそうやって素の自分出せて。 葉璃にも最初はズケズケ言ってたし?」
「うっ……それはマジですんません。 ハルポンにも心込めて謝罪しとります」
「いんじゃねぇの? ルイには過去最速で心開いてたよ、葉璃」
「え……マジっすか?」
「キツい言葉で叱咤されるってのが葉璃には新鮮だったんだろ。 俺達は猫可愛がりするだけだからな。 ネガティブだ、卑屈だ、って言ってるわりに、ちゃんとこの世界に馴染もうと努力してる……だから何も言えねぇんだよ、頑張ってる姿見てっから」
「それ言うたら俺もそうなってしもたかもしれんです。 ハルポンには参った。 俺は早々と白旗上げてました」
「甘やかしたくなってきた?」
「いやどうやろ……そういうわけでもなくてですね。 自分の事はどうでもいい言うくせに、他人のためやったら激ギレも厭わんハルポンやから、絶対に裏切ったらあかんし傷付けてもあかんと思わされてる、……かな。 〝仲間〟やて言うてくれたのも嬉しかったっす」
「仲間、か……」
感激したように打ち明けてくれたルイの胸中を聞き、思わず心からの笑みが溢れた。
葉璃なら迷い無くそう言うだろう。
どれだけ第一印象が最悪であろうと、葉璃はルイの言葉の端々や行動をしっかりと見て判断した。
かなり妬けるが、二人をグッと近付けた祖母の件より前から、ルイのマイナスイメージは葉璃の中で払拭されていたように思う。
葉璃は元来お人好しだが、裏を返せばどこまでも優しい人間だという事。
聖南の言葉しか信じないと豪語しつつ、計略かは定かでないが、社長との会話で葉璃が絆される可能性も充分に考えられるのだ。
「……引き止めてすんません、セナさん。 早うハルポンのとこ行ってやってください」
「ああ。 とりあえず一つ一つやんねぇとな。 葉璃に心配されるようじゃ彼氏失格だ」
「か、彼氏、っ……! そ、そっすね!」
不敵な笑みを浮かべた聖南に、ルイがたじろぐ。
ドアに手を掛けた聖南が「じゃあな」と告げると、中立な立場で首を突っ込んでいるらしいルイは「頑張ってください」と微笑んだ。
葉璃が信頼し〝仲間〟として認めたルイに、聖南も少しずつ歩み寄るつもりでいる。
信頼関係というものは、片方だけが望んで構築されてゆくわけではない。
共に歩んだ道のりも、年月も、深さとは比例しないという事を思い知った。 そんな聖南が信じるべき者は葉璃しか居なく、その葉璃が信じた者ならきっと、必ず、間違いはない。
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