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一人になると、腹より少し上辺りに奇妙なムカつきを覚えた。 エレベーターの上昇による重力負荷だと思いたいが、決してそうではない。
脂っこいものだけを目一杯食べた後のような、もしくは聖南の場合ではアルコールを摂取した時と似た気持ちの悪さが、ひたすらに目的地までの足取りを重くさせる。
思えば父親との再会の日もこうだった。
社長に案内されて個室へと移動する最中、何度も立ち止まって嘔吐きかけた聖南は、不安事が間近に迫るとたちまち体調に表れる事が証明されている。
それは葉璃とのあれこれで判明したと言っても過言では無い、聖南にとって唯一の弱点かもしれない。
「……あ、っ……」
「あっ」
しかしエレベーターを降りてすぐ、大好きな人の姿を捉えた聖南の体調不良は途端に快復した。
目が合うと両者同時に立ち止まり、微妙な距離間の向こう側で葉璃は聖南の顔を見て固まる。
葉璃を〝心の安定剤〟と表現した自身は間違っていない。 遠目にもその姿を視界におさめただけで、ポカポカと体内が温かくなってくる。
すぐさま走り出して抱きつきたい衝動に駆られたものの、彼には情けないところばかり見せてしまっている手前、年上の恋人の威厳も保ちたい。
数秒前まで胸焼けと戦っていた人物とは思えないほど、聖南は葉璃との距離を縮めながら余裕ぶった。
「おー、お疲れ、葉璃。 社長との話もう終わったんだ?」
「あっ、お、お疲れさまですっ! えっ、あっ、う、……っ」
冷静で居ようとする聖南とは反対に、嘘が吐けない性分の葉璃は〝社長との話〟というワードにあからさまに反応した。
「……どした?」
「いや、……っ、あの、うっ……」
「何かありそうだな。 ……ちょっとこっち来て」
「えっ……でも聖南さんも社長さんと話があるって……っ」
「挙動不審な葉璃ちゃんをほっとけねぇだろ」
「うーっ!」
この狼狽えっぷり。 思いがけず重要な話をされたのだと悟るには充分だ。
聖南は葉璃の腕を掴み、エレベーターで一つ下の階に降りる。 問答無用で、事務所にて作業するため聖南に与えられた、こじんまりとした作詞部屋へと葉璃を連れ込んだ。
その間も「あー」だの「うー」だの狼狽えた声を上げていたが、聞かぬフリをした。
聖南の到着を待たずして葉璃が退室しているという事は、二人同時に聞いてはならない話題だったのかもしれない。
しかしそれを葉璃だけが背負わされているなど我慢ならず、しっかりと内側から鍵を掛け、葉璃の両腕を掴んだ。
「社長になんて言われた?」
「いやっ、あのっ! そ、そそそれは……、社長さんがお話するかと……!」
「社長から聞こうが葉璃から聞こうが変わんねぇよ。 俺は葉璃から聞きたい」
「でも……っ」
「でもじゃない。 教えて」
「で、ですが……っ」
「言い方変えてもダメ。 ……葉璃、俺の目見ろ」
「うっ……! うー!」
眉をハの字にした葉璃が、聖南に下唇を出して「言えない」事を必死でアピールしてくる。
この期に及んでも〝畜生、かわい過ぎる〟と思ってしまう聖南は、盲目と言う他無い。
だがふざけてキスをしかけている場合でも無く、追及を嫌がって地団駄を踏む葉璃の瞳を無理に覗き込んだ。
「なぁ葉璃ちゃん、俺のこと心配してくれてたんだって?」
「えっ? そ、そりゃあ心配しますよっ」
当たり前でしょ!と、困りながら怒られた。
分かっていたが、直接本人からそれを聞くと〝嬉しい〟が情けないを上回る。
追及の矛先が変わった事で、瞬時に狼狽が薄れた葉璃の顔色を聖南は見逃さなかった。
「俺隠してたつもりだったんだけど」
「えぇっ、……あれで?」
「あれでって。 そんなに分かりやすかった?」
「はい」
「即答かよ。 俺マジで役者に向かねぇな」
「あー……。 なんだっけ、……あっ! 聖南さんはカッコいい大根ですもんね!」
「おいっ!!」
「あはは……っ、聖南さんいつもこれ言うと怒りますよね」
「怒るってかツッコんでんの。 かわいくナイフを突き立てて抉るなよ。 自覚してる事なんだからさ」
「ふふっ……ごめんなさい」
悪びれずにかわいく謝るとは、聖南の恋人は何とも卑怯である。
このような楽しい会話だけを、いつまででもしていたい心境だ。 ……今は特に。
「葉璃にこれ以上心配かけたくない。 ……俺はどうすべきだと思う?」
「………………」
空気を変えた事が功を奏し、葉璃は聖南の追及に地団駄を踏まなくなった。
ぷにっと突き出されていた唇は真一文字だが、聖南の瞳を真っ直ぐに見詰めてくる。 その威力は絶大で、いつ何時でも撃ち抜かれてしまう聖南は葉璃の前では完全ノーガードだ。
これ以上見せられないというほど、葉璃にはすべてを曝け出している。
社長との会話の内容を聞き出そうとするのも、葉璃を案じているからともう一つ。
……自身の心がこれ以上傷まぬよう、ワンクッション置きたいのである。
「葉璃。 社長と何話した?」
「………………」
教えてほしい、と呟き、葉璃の両方の手を取ってじわりと握った。
聖南を捉えている、小さく揺らめく焦げ茶色の瞳を見詰める。
結局は追及を受ける羽目になっている葉璃に、何がストッパーになっているかなど火を見るより明らかだ。
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