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その場で立ち上がった社長は、ふと葉璃を捉えるや深々と頭を下げた。
「まずは謝罪をさせてほしい。ハル」
「えっ?」
突然何が始まったのかと、ビクッと肩を揺らした葉璃もなぜか勢い良く立ち上がる。
業界でもトップクラスの大手芸能事務所社長が、新人アイドルに頭を下げるという異常事態に物々しい雰囲気が漂った。……が、その謝罪の意味を分かっていないのは葉璃本人だけだった。
名指しで頭を下げられ、見るからにオロオロしている葉璃を聖南は愛おしげに見つめる。
「ヒナタとして活動している間も含め、私の下調べの甘さで大変な目に遭わせてしまい本当に申し訳なかった。どうか許してほしい」
「あ、いやっ、そんな……っ」
「ハルのおかげで、Lilyは活動休止に追い込まれることなく成り立っていた。サポートメンバーとしての役割以上を担ってくれていたと思う。謝罪と共に、ハルの不屈の頑張りに感謝申し上げる」
「か、感謝って……! えぇっ? いや俺は、ほんとに何もしてなくて……! ていうか社長さん! 顔を上げてください!」
葉璃は多大に謙遜しながら、近寄っていいものかと右足を出したり引いたりしていた。
──謝罪と感謝を申し上げるのは結構だけど、仰々しすぎて葉璃が困ってんじゃん。
地位のある年輩男性から頭を下げられる居心地の悪さは、聖南もよく知っている。だがここは社長の顔を潰すわけにもいかず、葉璃に対し真摯な対応をしてくれたと思えば一応は胸がスカッとした。
半年間、女性グループのいざこざに巻き込まれた葉璃は本当に災難だった。
聖南にも未だ多くは語らず、自身の卑屈さを最大限に利用してよく耐え抜いたと思う。
最後に実害まで被ったにもかかわらず、聖南に引けを取らぬほどのお人好しを発揮した葉璃は、もう終わった事だと早くも頭を切り替えている節まである。
あえて思い出させるようなことはしたくないけれど、〝そんなこともありましたね〜〟と感慨深く語るにはまだ早すぎると、聖南は苦笑した。
「葉璃、何もしてないことはねぇだろ」
「そうだよ!」
「何もしてないことはない」
続いてケイタとアキラも同調し、困惑した葉璃がキョロキョロと視線を彷徨わせ狼狽え始める。
「で、でもですね、俺はほんとに、目の前の仕事をこなすことで精一杯で……社長さんに頭を下げてもらうようなことは何一つしてなくてですね……!」
「SHDエンターテイメントの内情まで暴くことが出来たのは、真にハルのおかげと言える。ヒナタでの活躍ぶりもそうだが、Lilyの活動中、君が耐え抜いてくれたからこそ私たちも秘密裏に動くことができたのだ」
「そ、そう言われましても……」
そうだそうだと頷いたのは、CROWNの三人だけではない。葉璃の向こう側で神妙な顔を浮かべていた恭也とルイ、そして成田と林でさえも深く頷いていた。
葉璃は、一斉に首を動かした全員をぐるっと見回し、よく分からないといった顔で自身も〝うんうん〟と首を縦に振っている。
「ぷっ……! 葉璃、もういいから座んな」
「は、はい……っ」
聖南の声に、葉璃と社長はゆっくりと腰掛けた。
自らの口で伝えたいと話していた社長はスッキリしたかもしれないが、天然の気がある葉璃には〝そこまでしてもらうような事なのか〟分かりかねている様子だ。
ちょこんと座った葉璃の瞳が、チラと聖南に向けられる。
──〝俺、なんで社長さんからお礼言われたんですか? 絶対俺関係ないですよね? 意味が分かりません。〟ってとこか。かわいーなぁ、葉璃。
葉璃が愛される理由の一つとして、彼の性格的に自分の実力を過信しない(できない)というのがある。
他の者なら鼻につくであろう謙遜も、葉璃が口にすると〝健気〟に映るためか、過保護な男連中は今も葉璃の様子に目尻を下げている。
「今回のヒナタの件について、ハルには追って報酬を支払う用意がある。後日、聖南とまた改めてここへ来てほしい」
「ほ、報酬……?」
「了解ー」
何から何まで分かっていなさそうな葉璃を差し置き、話はこれでお終いだと言わんばかりに聖南が答えてやった。
しかし聖南の恋人は首を傾げたまま、「報酬……?」と呟いている。
「聖南さん、報酬ってなんですか」
「あはは……っ、そこから? 社長が言ってる報酬ってのは、この半年間の仕事量、内容に見合った対価だ。葉璃にはそれを受け取る権利があるだろ。ボーナスみたいなもんだと思えばいい」
「でも……だって俺、そんなもの受け取れません。お金は要らないんで、その……ごはんを食べさせてくれたらそれで……」
「あっ?」
「んっ? ご、ごはん、とな?」
「プッ……!」
「プフッ……!」
「葉璃、……可愛い……っ」
「あはは……! 欲が無いのも困りもんやなぁ、ハルポン!」
芸能人とは思えぬ無欲な発言に、聖南と社長は驚いて目を見開き、アキラとケイタは同時に吹き出した。
恭也はたまらず葉璃の肩を抱き、ルイは腕を伸ばして葉璃の頭をよしよしと撫で……当の本人はというと、唇を尖らせて不服そうな顔をしている。
葉璃はきっと、思ったことを口にしただけなのだ。多額の報酬より、美味しいものを食べたいという欲が勝った。
「──葉璃、うまいメシなら俺が…… いやここにいる男ら全員でいくらでも食わせてやる。だから、社長からの報酬をメシで済ませようとするな」
「え……?」
真剣に説得を試みたのは、少々天然が過ぎる葉璃の恋人、聖南だ。
葉璃に甘い男連中は目尻を下げて笑っているが、これを今訂正しておかないと冗談では済まなくなる。
なごやかな空気の中、聖南はひっそりと予想を立てた。
車に乗り込んだ瞬間、いつでも本気の葉璃は〝報酬=ごはん〟を鵜呑みにしたまま、おそらくこう言う。
〝社長さんとごはんに行くなんて、緊張しちゃうなぁ。聖南さんもついてきてくれますよね?〟
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